Live Music JIROKICHI

スタッフのつぶやき

毎月発行している「紙」のスケジュール裏面に掲載している <スタッフのつぶやき>です

JIROKICHI_schedule_Jan2015_omote2015年1月】 《umbeltipo》

40周年を記念した書籍『ジロキチ・オン・マイ・マインド~ライブハウス高円寺JIROKICHIの40年』が発売になりました。素晴らしい本です。インタビューに協力していただいたミュージシャン&関係者各位に深く深く感謝致します。何が凄いって,過去40年分のスケジュールが網羅されているのが凄い。スケジュールのデータ化に協力していただいた皆さん、本当にありがとうございました。
ところで,本の中で日本を代表するロックギタリスト、Charさんにもインタビューさせていただいているのですが,その際聞かせていただいた思い出話が興味深いんです。Charさんはデヴュー前の若かりし頃、ご自分のバンド、Mad Brothersで1975年2月に出演していらっしゃるのですが,そのときのエピソード。ジロキチでのライブ当日、ドラマーが急に「ライブに行きたくない」とゴネだしました。Mad Brothersは結成したばかり。そして初ライブ。この日のためにドラムセットを購入するなどして本格的に練習を重ねてきたので,メンバー皆で自宅にまで押し掛けていって,とにかくジロキチのライブに参加するよう説得します。そして本番ギリギリ、何とかジロキチに連れてくることに成功。大勢のお客さんを待たせる中、ドラムセットを組み,ようやく演奏が始まりました。それは10代の若者が演奏しているとはとても思えない高度な素晴らしい演奏だったのですが,そのドラマー。終わると自分のドラムセットを片付けもせず帰ってしまったのだそうです。とうとうぶち切れたメンバーの一人が,新品のドラムセットをビルの窓から投げ捨ててしまったのだとか。Mad Brothersはそのジロキチでの初ライブが解散ライブになってしまったのだそうです。

201412omote.jpeg2014年12月】 《umbeltipo》

40周年を迎え更なる未来に向かって頑張っていこう。僕たち私たちはこう考えます。月並みな標榜ではありますが,月並みってのは結局一番。というわけで,40周年記念本「ジロキチ・オン・マイ・マインド~ライブハウス高円寺JIROKICHI の40年~」を12月10日、出版させていただく運びとなりました。温故知新。まさにこれ温故知新を感じさせてくれる内容となっています。40年前とは時代が大きく変わり、人々の考え方も,知識も,常識も,昔とは異なる現在ですが,昔ばっかりが良かったわけじゃありません。音楽は身近なものになり、発展し,成熟しました。JIROKICHIなんて昔はとても入りづらい,アンダーグラウンドな人たちの巣窟のような場所でしたが,今やお年寄りから若い女の子、子供まで出入りできる健全な店(笑)になりました。
 本の出版にあたってインタビューに応じてくれた方々のお話を読ませていただいたり,一時代を築いたミュージシャンたちの話を伺ったりしていると,深く感じることが一つあります。それは音楽が『本当に好き』ということ。”本当”というのがポイントです。『本当に好き』な人たちが表現、演奏し,聞きに来てくれた方々に訴えかける。『本当に好き』な人たちの心にも訴えかける。感動します。ジャズもソウルミュージックもロックンロールも,言葉はもうすっかり古くなってしまったのかも知れませんが,本当に好き、という変わらないスピリット。気合い。スピリットこそが奥義。ジャンルも,古いも新しいも,きっと関係ないのです。

JIROKICHI_schedule_Nov2014_omote【2014年11月】
 《Sound Furniture  藤枝伸介ソロプロジェクト》

◆スタッフのつぶやきはお休みしました◆

 

2014_10schedule_omote【2014年10月】 《吉村樹里》

キャバレーに行っちゃいました。昭和です。若い人は知らないかもしれませんが、昔の、昭和の大人の夜を彩る遊び場、社交場といえばキャバレーです。ダンスやコメディーショウなどができる舞台を備えたレストランやナイトクラブのことをいうのだそうです。ちなみにキャバクラとは違います。日本だと、ステージショーや生バンドの演奏がある規模の大きいスナックみたいなイメージでしょうか。JAZZミュージシャンと話をしていると、若い頃はキャバレーで毎日演奏する仕事をしていた、そこで腕を磨いた、という方が意外と多く、よく話に聞いていたので、キャバレーという華やかな言葉の響きに昔から興味があったのです。で、行ってみたわけですが、向かったのは赤羽。「ハリウッド」という48年続く老舗のキャバレーです。入店するとまず内装が昭和。ミラーボール、派手な照明にテンションが上がります。昭和なボックス席に案内され、どーんと座ると昭和なホステスさんが二人ついてくれました。一人はベテランの、これがまたかなりのお姉さんで、良い感じです。もう一人はなんと20年以上ナンバーワンだという70歳を超えてなお現役のお姉さんです。お酒をつくってもらいながら、生バンドの演奏やモノマネショー等を楽しみます。ステージの前にはダンスフロワーがあって、興が乗ったお客さんが昭和の曲で踊りだしたりもします。30年通っているという80歳のダンディーがビシっと決めてドレス姿のホステスさんをクルクル回しているんです。なんか小粋って感じ。あっという間の二時間でした。イヤー楽しかった。満喫。また行きたい。

2014_09schedule_omote_otlnd【2014年9月】 《ギラ・ジルカ》

話題の女性ジャズヴォーカリスト、ギラ・ジルカさんの1stアルバムがよくかかっていたんです。素晴らしい。なんというかソウルフル。なので最初、まるっきり海外のアーティストだと思って聴いていたら、なんと日本人とイスラエル人のハーフとのこと。神戸で生まれ育った人だと聞いて、おっ、と思いました。ダルビッシュみたいな感じですかね、才能というか、迫力というか、スケールが大きいのです。大変失礼でアレですけど日本のジャズシンガーって、一部素晴らしい人を除いて結構アレじゃないですか。昔、ブルース界の大御所、永井ホトケ隆さんの本で読んだ記憶がありますが、(今は違うかも知れませんが)日本人のジャズシンガーってブルースを歌えないんだそうです。でもブルースって基本というか、ジャズと同じものだという気がするんですが、どうでしょう。で、そのギラ・ジルカさんのアルバムを店でかけているとお客さんやミュージシャンに『今かかってるの誰?』ってよく聞かれるのです。てことはやっぱり単なるBGMにならない強烈な魅力があるってことですよね。で、ギラ・ジルカさんにジロキチで歌って欲しいと当然思うわけです。はい。そうです。決まりました! やった~。

【2014年8月】 《モアリズム》

ジロキチの料理は美味しい、と言ってくださる方が多くてとてもうれしく思っております。とくに唐揚げ、チャーハンの評判が良く、売れ切れてしまうこともしばしば。ダイニング・バーなど食事をメインで出す店でライブもやる、みたいなことはよくあると思いますが、本格的なライブハウスで料理を出すところは少ないのではないでしょうか。しかし20年以上前、私が働きだした頃は料理なんてほとんど頼まれませんでした。なのでスタッフもメニューに表記のあるものをろくに作れず、たまにオーダーが入るとてんてこ舞いになった、という記憶があります。今ではおかげさまでたくさんオーダーをいただけるようになりました。中華料理屋かっ、てほどオーダーをいただける日もあります。ありがたいことです。そういうとき、狭い厨房で一人で作っているため、お待たせしてしまうことが多く、大変申し訳なく思っております。で、お詫びというわけではありませんが、今日はレシピを一つ教えちゃいます。人気メニューの一つ『焼きそば』です。よくJIROICHIの焼きそばは「塩焼きそば」だと思っていらっしゃる方がいますが、コレ、実はソース味です。ソースはソースでもオイスターソースを使っているのです。コレが美味い。で、レシピですが、まず準備。(1)ニンニク1片を包丁でつぶしてからみじん切り、ショウガ薄切りを千切り、鷹の爪少々(2)豚肉。そして白菜、ピーマン、人参、長ネギ、椎茸、を麺の形状に合わせ細切り(3)焼きそば用の市販の麺。麺は一度レンジで温めておきます。(4)酒で溶いた鶏がらスープ。以上。さて制作本番です。まず熱した中華鍋に油をひき、(1)を投入。鷹の爪やニンニクは焦がしてはいけません。香りが出たら(2)まず豚肉を炒め、火が通ったら野菜も投入、炒めま合わせます。塩こしょう。(3)酒で溶いた鶏ガラスープすぐに続けて(4)麺を投入。混ぜ合わせます。ここまで数十秒。だらだらやってはいけません。べちゃべちゃになります。火は前半中火→野菜投入後強火という感じ。ここからはちょっとじっくり、麺が野菜たちと絡んだらオイスターソース(分量に注意)を投入。ごま油、醤油を鍋肌にちらっと垂らして香り付けしたら完成。ちなみにお皿に高く盛りつけるとより美味そうに見えます。いかがでしょうか。食べたくなったでしょ? 730円です。

2014_07schedule_omote_ol【2014年7月】 《ハモニカクリームズ 》

今年はしっかりと梅雨入りしてしまいました。六月のスペシャル月間にご来場くださいました皆様、足下の悪い中、誠にありがとうございました。心から感謝申し上げます。ところでご来場いただいた皆様はご覧になったかも知れませんが、40周年を記念してTシャツ、手ぬぐい、そしてポストカードを作成したんです。

そのポストカード。ちょっと古めかしいデザインのケースをご覧なってみて欲しいのですが、ケースの絵、これはオープン記念ライブのポスターなんです。高田渡さん、友部正人さんなどの名前が見えます。チケット代は300円。実はこの日出演した大津あきらさん(後に作詞家として数々のヒット曲を出す)は若いピアニストを連れてきたそうで、そのピアニストが坂本龍一さんだったとか。満員御礼、この40年の第一歩を刻む記念すべきオープンイベント、大成功だったそうです。
しかし大成功に気を良くした故・荒井誠(ジロキチのマスター)は、なんとミュージシャンのギャラを紛失。そしてお祭り騒ぎと労苦の40年が始まったのです。

 

Jirokichi40thposter【2014年6月】 《JIROKICHI 40th ANNIVERSAEY -SOUNDS OF SUPER STARS- 》
生聞居酒屋(ライブハウス)高円寺・次郎吉物語

『次郎吉』誕生までのいきさつ
17歳の秋、信州の実家を出た俺は、その後数年間日本で半放浪生活を続けることになる。まず、静岡のミカン山。19の時には北海道に渡り、アイヌの兄弟と組んで漆喰塗りのバイトをしながらバイク旅行。21の時に、姉を頼って上京、高円寺でディスコの走りだったゴー・ゴー・バーや、じゅうたんバーの雇われマネージャーとして働きはじめた。
...続きはこちら⇒http://jirokichi.net/schedule/monogatari

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【2014年5月】 《白鶴山 デビューCD「一献献上」発売記念 LIVE 》
不定期で開催している、ブルースジャムセッション。ボーカル、ピアノ以外の方は楽器を持ってくればセッションに参加できる、初心者も達者な人も、もちろんミュージシャンもお客さんも歓迎される全員参加型ライブです。(ドラムの方はスティックを持ってきてくださいね)参加者は500円と飲み物代、セッションを観るだけならドリンク代のみで気軽に楽しめるイベントです。毎回個性的な方々が腕試しやメンバー探し、仲間との交流を求め参加してくれています。先日は13歳の子がドラムで参加。この子がまたびっくりするほど上手くてビックリ。一体将来はどうなってしまうのでしょうか。このブルースジャムセッション。今では日本中で行われていますが、約30年前、最初に始めたのはここ、JIROKICHIです。私が店に入った頃は他でやっていなかったこともあり、毎回100人近くの参加者がいて凄いことになっていました。当時はブルースブームで、スティーヴィ・レイヴォーンやジョニー・ウインターといった白人系のブルーズギタリストが人気、いかにもそれ風という髪の長いギタリストばかりが目立って集まっていました。それ以外もヘビメタの人と渋いブルースを弾くおじさんの組み合わせとか、毎回自分のオリジナル曲を発表する人と、絶叫する人、JIROKICHIでライブするからとお客さんを何十人も呼んで張り切る人とか、色々いて面白かったです。しかし人数の多いギタリストの悲運、ステージに上がれるのは一曲のみです。しかもギタリストばかり来ているわけですから皆が一斉に注目します。アイツよりは上手いぞ、あの上手い人は誰だ、あの独特な空気、緊張感は相当なものでした。最近はギタリストの人気がないのか、参加者が少ないのでギタリストは狙い目です。プロで立派にやっている方が時々、ぼく、昔セッションに来てました、何てこともよくあります。セッションで声をかけられバンドに誘われたりすることも多々。皆様、良かったら一度覗いて見てくださいね。次回は5/3土曜日です!よろしくお願いします。

 

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【2014年4月】 《伊東ミキオ&フジタユウスケ 》

消費税が上がりました。5%のときはなんとか踏ん張ったのですが、いよいよ厳しいだろうとのことで、料金の改訂をせざるを得ませんでした。みなさま申し訳ありません。(ミュージシャンの方々もチャージ料金に頭を悩ませているところかと思います)5%から8%になるのだから3%分の値上げを考えれば良いのかと思っていたら、そうです、よく考えれば、仕入れも値上がるわけですから単純にはいきません。それにJIROKICHIはキャッシュオンデリバリー(前金システム)なので、どうしても税込み価格になってしまいます。それでも、いつもご愛顧いただいているお客様のため、いろいろ知恵を絞った結果、思い切って生ビール、焼酎、ソフトドリンクの値段を据え置きにして頑張ることにしました。10%になった際はまた考えなければいけませんが、頑張ってみたいと思います。みなさま、どうかご理解いただけますようよろしくお願い致します。

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【2014年3月】  《BeatNuts  包国 充バースデーライブ 》

大雪、驚きましたね。45年振りだとか。そんな中いらっしゃっていただいたお客さま、本当にありがとうございました。降雪量十分、店の前に大きな招き猫の雪だるまを作ったおかげでしょうか。
ところで、JIROKICHIという店名についてたびたび由来を聞かれます。「どなたがジロキチさんですか?」などと聞かれることもしばしば。オープン当初は『生聞居酒屋 次郎吉』という店名、お世話になった人に次郎さんという人がいたから、とも聞いたことがありますが、それは江戸時代、庶民に広く知られた大泥棒「鼠小僧次郎吉」からとったのだと思います。40年前のオープニングイベントを「次郎吉どろぼう公演」と銘打って開催していますから、意識していたのは間違いありません。鼠小僧・次郎吉は、大名屋敷から盗んだ小判を庶民にバラまくいわゆる義賊として後年に伝承された人です。お縄の陰が忍び寄ると身辺を綺麗に整理し、身内に害が及ばぬようにしたそうです。昔は親戚一同にまで罪が及んだそうですから、そういう噂が庶民に広がると、彼はヒーローになりました。権力の象徴である大名の屋敷に忍び込んだことなども評価されたのでしょう、市中引き回しの際は一万人以上の野次馬が集まったそうです。昔は娯楽の少ない時代ですから、公開処刑は庶民にとって一大イベントだったらしく、役人もちゃんと心得ていて、みすぼらしいヒーローでは暴動が起こりかねない、彼には立派な衣装を着せ化粧まで施したそうです。まるでロックスターですね。40年前、次郎吉という店名を付けて店をスタートさせたマスター、故・荒井誠。銀行などで「次郎吉さん」と呼び出されると恥ずかしかったそうです。

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【2014年2月】 《三好”3”吉功郎/八木のぶお》

2月は誕生日のミュージシャンが多いのです。表紙の八木のぶおさん、三好3吉功郎さんを始め、山下洋輔さん、峰厚介さん、小川美潮さん、森崎ベラさん、森園勝敏さん…毎日バースデーライブが出来そうです。何故か常連客にも多く、そしてジロキチ生活39年、PA担当ワオさんも2月生まれです。あまりにも多いのでワオさんは『二月会』という集まりを企画して、毎年旅行などに行ったりしています。 そうそう、ジロキチの誕生日。これも2月。2月1日です。40歳の誕生日なのだから、普通にライブをやるよりも…と考え、ジロキチの誕生会を開催することにしました。ジロキチは昔、『スケアクロウ』というスタッフバンドがありました。
その往年のスタッフバンドが観たい!と思い、最近のスタッフ、ちょっと前のスタッフ、昔のスタッフとお声をかけさせていただき、歴代のスタッフ総出演?という感じ、身内のことで恐縮ですがオールスターが出演するパーティになりそう笑。しかしこういった企画ができるのも40年という長い長い歴史があるから。お客様、ミュージシャンの方々、本当に本当にありがとうございます。

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【2014年1月】 《JIROKICHI 40th》

ちょっとちょっと奥さん旦那さん。あっという間に年末~年明けですよ。一年がどんどん早くなっていきますが、年配の方に伺うと更に加速、もっともっと早くなるんだそうです。しかしまあそんなことを憂いていてもしかたがない、というわけで毎年、正月は酒ばかり呑んで過ごすのが常なのですが、やっぱりおせち料理に熱燗がいい。お銚子を上げてもう1本、なんていって、食っては呑んで寝っ転がって、また起きて呑んで。ところで、お銚子って徳利ともいいますよね。どっちが本当の名称かなと疑問を感じ、今は便利、さっそくググって調べると、どっちでもいいのですが、どうやら徳利というのが優勢のようです。お銚子は本来鉄製の酒器で、ひな壇の三人官女が持ってるアレのことだそうです。
ところでみなさん。JIROKICHIは2014年、40周年ですよ。手前味噌ですが40年って凄い。40年前の1974年、世間では何が起きていたか調べてみると、小野田少尉発見・帰還、ドリフに志村けん加入、セブンイレブンが第一号店を出店、カーペンターズ来日三万人のキャパに38万通の応募、佐藤栄作ノーベル平和賞、長島茂雄引退、田中角栄辞任、ハローキティー誕生。なるほど。しかしいずれも若い人に話しても通じない出来事ばかりでしょうか。コンビニはまだなかったんですね。そーいえば何年か前に和歌山から来たブルーズバンドのボーカルの人が小野田さんの甥っ子だった、なんてこともありました。小野田少尉とブルーズ。あ、こんなこと書いているうちに予定の字数をオーバーしてしまいました。すみません。
皆様のお陰でJIROKICHIは40周年を迎えることができたと、心から御礼を申し上げたいと思います。

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【2013年12月】 《有山岸》

寒い季節がやってきます。寒い季節には鍋ものですね。
池波正太郎の時代小説を読んでいると、美味いものの描写がよく出てくるのですが、鍋、これがたまらない。軍鶏鍋とか大根の鍋とか。
「 自慢の出汁(だしじる)を鍋に張り、ふつふつと煮えたぎったところへ、 軍鶏と葱(ねぎ) を人れては食べ、食べては入れる」ああうまそう。ふつふつ、とかうまそう。
しかし、私の思い入れのある次郎吉の鍋と言えば博多名物『モツ鍋』なんです。高円寺でモツ鍋? しかもライブハウスで。何故と問うならば、ちゃんと理由があります。30数年前、東京の人はまだ誰も知らなかった頃、モツ鍋を博多から東京に、次郎吉に持ち込んだ人がいます。ジャズピアニスト故・本田竹広さんです。そしてその本田流モツ鍋のことなのです。山下洋輔さんのエッセイにも話が載ってますが、本田さんのモツ鍋の食べ方、これが尋常ではない。独自のレシピで作ったスープに、信じられない量の唐辛子と信じられない量のニンニクをぶち込みます。で、モツを投入し、野菜はニラだけ。キャベツなんて軟弱なものは入りません。ああ、辛い、そして信じられない量を食らうのです。真似してそれを作って食べたあるボーカリストがつるつる頭の血管から汗とともに血を出した、という伝説も残っています。本田流はさておき、ジャズミュージシャンの影響で東京に伝わり流行ったモツ鍋。近年もまた注目され、メニューにモツ鍋を載せる店も増えましたが、しかし、どこの店で食べてもまったく不満。私にとってモツ鍋といえばJIROKICHI。本田流なのです。あ、メニューにはないんですけどね。すみません。

201311schedule_omote【2013年11月】 《ヒロナリ》

暑かったり寒かったりで体調を崩している方もいらっしゃっるかも知れません。季節に変わり目は自律神経が乱れやすいそうです。自律神経の乱れこそが万病のもとだとか。交感神経と副交感神経のバランスを保つためには呼吸を浅くしないことが重要だそうです。JIROKICHIはスタッフ旅行が毎年あるのですが、こういう時期こそリフレッシュ、新鮮な空気を吸いに行こうというのが恒例となっています。その三年前のスタッフ旅行。車二台で伊豆方面に向かっていると、もうそろそろ到着というときの信号待ち、後方からガッシャーンと鈍い音がして、私たちの乗る車にも結構な衝撃がありました。なんだなんだ、と外に出てみると見事に三台の玉突き事故、派手にぶつけられちゃてます。私たちは一番前だったので、それほどではありませんでしたが後の二台はぐちゃぐちゃ。大変なことになっています。二台目にもスタッフが乗っていたので焦りましたが、幸い重傷を負うような人的惨事にはなりませんでした。しかし首や頭が痛いという人もいたので、病院へ。つまり旅行は台無しになってしまったのです。ぶつけたのは超年配の方。前方不注意で50キロで突っ込んだのだそうです。あのときは台無しになった旅行、ぶつけたご老人の不遜な態度に怒りを覚え、あのような老人が普通の一般道を運転しているのはどうかと思いましたが、現代は四人に一人がご高齢という時代です。とくに地方にお住まいの方は車がどうしても必要でしょうし、年配といっても個人差があって規制は難しいだろうと思います。今後おそらくこういった事故が増えるのではないかと懸念されますが、地震も含め、想定外のことも想定して生きて行く時代なんだと最近は考えてしまいます。

 

201310schedule_omote【2013年10月】 《quartet Nico》

今年も秋恒例の高円寺フェスが10/26・10/27と開催されます。最近では名物になりつつある駅前プロレスが盛り上がっていて、それでご存知の方も多いかも知れません。JIROKICHIでは毎年、高円寺のライブハウス共催で昼間を解放しフリーライブをやっていましたが、今年はライブイベントの仕切り直しということで高円寺アートミュージアムという催しに参加することになりました。高円寺アートミュージアムは高円寺という街全体を美術館にしようという企画で、私どもはライブハウスなのでどうしようと考えていたところ、そうだ、20年前、トイレの絵を描いてくれた石川智久さん、非常階段の絵を描いてくれた木村順也さんにお願いして作品を展示してもらおうということになりました。JIROKICHIのトイレの中、非常階段のところに絵が描いてあるのをご覧になってみてください。色褪せない斬新な絵で、私はとても気に入っています。20年前、美大生としてデザインを学んでいた二人はひょんなことからマスターの荒井誠と知り合い、荒井からやってみろと任されたのだそうです。その後、そのJIROKICHIに描いた作品を就職活動に生かしたなどと聞いて、それからは何年かに一度、というくらいにしか会わなかったのですが、話を伝え聞くとなんとお二人、すっかり有名なアーティスト、デザイナーになっていたのです。石川さんは、最近では3DCGアーティストとしてトータス松本原作『わいもくん』の監督&脚本、他、ゲームキャラクターデザイン、CMなど多くの仕事を手がけています。木村さんはテキスタイルデザイナー(服飾またはインテリア、乗物の内装、布地・織物をデザイン)としてライトキューブという会社を設立しショールームを構え、オリジナルブランドの発表、様々なイベントに作品を出展するなど国際的な活躍をされているそうです。当日は、昼間を解放し、彼らの素晴らしい作品を展示したいと思います。また20年前の彼らの作品、トイレや非常階段の絵を再認識してもらおうと、ランチでも用意しながらのんびり皆さんをお待ちしてみようかと思っています。入場料はかかりませんので、みなさま、ふらっと是非お越し下さい。

data201309schedule_omote【2013年9月】 《Have FUN with F.A.N vol.7》

残暑のきびしい中、さんまの美味しい季節になりました。刺身、いや、やはり炭火で焼いて食べるのが最高です。昔、鷹狩り場であった目黒(品川辺り)。家来を引き連れて鷹狩りに出た殿様一行は、腹をすかせていました。なんと家来が弁当を忘れて来たというのです。何やらいい匂いがします。『殿、あれは下々の者が口にする下品な魚、さんまを焼く匂いです』『この有様じゃ。よいから手に入れて参れ』というわけでさんまを食べた殿様は、なんという美味、目黒で食べたさんまの味が忘れられません。ある宴席で「お好きなものを」というので、殿様は、さんまを食べたい、と所望しました。さっそく日本橋魚河岸から新鮮なさんまが取り寄せられたはよいが、脂のキツい、小骨の多い魚なので、殿様の体に悪いからと蒸して脂をすっかり抜いてしまい、小骨も丁寧に取り除くと、そのさんまの姿はぐちゃぐちゃになってしまいました。そのさんまを食べた殿様はあまりの不味さに「このさんまはどこで求めたのじゃ」と聞きました。家臣が「日本橋魚河岸で求めて参りました新鮮なさんまです」というと、「うむ、それはいかん。さんまは目黒にかぎる」
これは有名な落語の噺のひとつですね。目黒で魚なんか穫れませんから。落語といえば、昔、JIROKICHIでも落語のライブを毎月やっていたそうです。コテンコテンライブ?とかいうタイトルだったと思いますが、JIROKICHIで落語とか渋い。小朝さんなどが若手の頃出演していたとか。また復活させて是非やってみたいな、と思う秋の夜長なのです。

201308schedule_omote【2013年8月】 《浜田真理子》

猛暑です。40度以上の気温を記録したことがあるという埼玉県熊谷市。熊谷駅では、駅を利用する市民のため駅前にシャワー(冷却ミスト)が設置されているそうです。どうなんでしょう。涼しいんでしょうかね。では、暑いので怪談を。先日出演したあるベーシストの話です。昔から出演している彼は久しぶりに会うと、その度にどんどん太っていて、皆に心配されていました。話を聞くと、朝からマクドナルドのハンバーガーを五個も六個も食べたり、毎日弁当を一食で二個とか、とにかく異常な食生活を送っていたらしいのです。その日もライブの本番前、バーカウンターに座っていた彼とそんな話題になり、マクドナルドの話などをしていると、彼は突然こんな事をいい出しました。「最近、部屋で幽霊を見るんだよ…」「え!」…ってわけで詳しく話を聞くと、とにかくはっきりと現れ、ある日などは幽霊と目が合い、幽霊の方が驚いて四つん這いで後ずさった、などと真剣にいうのです。もちろんテレビは点いたり消えたり、ドアは勝手に開いたり閉じたり、夜中に足音がしたり、とにかく住んでいるその部屋が鬼門だかなんだかヤバいというのです。彼は知り合いの霊能者に相談しました。すると、部屋もヤバいが、だいたいにおいて彼の両肩には、霊がウヨウヨと付いているというのです。そのうちの一体は彼の意思を操るというほど強力だとか。それを聞いた彼はある事に思い当たり、腑に落ちました。そうだったのか…。彼は毎日弁当やハンバーガーを買うとき自分でも何故か不思議、同じ種類のものを必ず二個づつ、例えばシャケ弁当ならシャケ弁当を二個買っていたのだそうですが、それは、その肩にいる幽霊の分まで知らず知らずに買わされていたのです。しかし幽霊は食べたくても食べれませんから、結局彼が二個食べることになります。「だからこんなに太ったんだよ」彼はそういって、生ビールを2杯ぐっと飲み、大きな腹をさすりながら楽屋に戻っていきました。おしまい。

201307schedule_omote【2013年7月】 《バンバンバザール》

最近の日本、気候が変わってきていませんか?東京の気候は20年前の九州と同じ、そんな話を聞きました。昔はゲリラ豪雨なんてなかったですもんね。どうやら今年も猛暑だそうです。猛暑も憂鬱ですが、ゲリラ豪雨が続いたり台風が連発したりすると、私たちスタッフはある不安を覚えてしまいます。何故かというと、大変な事態が起きてしまう可能性があるのです。十数年前のある夏、その日の出演ミュージシャンがリハーサルをしていると、ドラムセットの辺りが急に水浸しになったのです。そんなに汗をかくドラマーではないし、水をこぼしたわけでもない。なんだなんだといっているうちに、あっという間に店内は水浸し。もちろん営業が出来るわけなく、ミュージシャンも手伝ってくれて、ひたすら水の掻き出し、しかし床下に置いてあった貴重なレコードやビデオテープ、八ミリのテープなどが浸水ですべて駄目になってしまい、その他、電気系統、厨房、冷蔵庫まで壊れるなど損害が大きかったのです。しかもその数年後、再び浸水。今度はボートを浮かべれば店内を漕いで廻れるというほど浸水。そのときはもう、なす術もなく笑ってしまいました。JIROKICHIが浸水した、というと、外から流れ込んだかのように思いますが、ビルの欠陥なのか、壁から染み出たというのです。どうやら雨が続いてビルの周囲の土が許容できる水分量を超えると染みだすのでは、などという根拠の薄い説にのみ頼るしかない私たちは、毎年大雨の季節になるとビクビクしながら営業をしているのです。補修は難しいとのことで…。まあ40年前のビルですから。さて今年は大丈夫でしょうか。

【2013年6月】 《ムッシュかまやつ》

日本酒、好きなんです。古代の酒については、神話の時代から記述がありますが、日本酒、清酒の歴史は、平安時代からだそうです。僧坊酒といって、奈良の正暦寺など大寺院で造られていたものが今の清酒に近いお酒の起源だろうといわれています。何故大寺院で造られていたか、というと、当時、大寺院は朝廷に保護され、海外からの最先端の技術や情報、頭脳が集まっていた大学のような場所だったからです。やがて戦国時代に織田信長が寺院を弾圧したことなどから、技術が一般に広がっていったとか。そうして1000年以上の時をかけ、酒造りは洗練し、現在の美味しいお酒に至ったそうです。 石川県、加賀の酒「菊姫」という銘柄のお酒を知りました。JIROKICHIにも良い日本酒があったらいいね、という話になり、菊姫と出会ったわけですが、これが美味しい。自信を持って勧められるお酒だね、などと呑気に話していたのです。ところが日本酒に通じている人たちの間では有名なお酒で、利き酒のプロにも、よくぞ菊姫を入れた、とほめられました。 菊姫の歴史は古く、1570年頃の創業だそうです。大手酒造メーカーなどのように工業製品としての酒造りを目指しているのではなく、最高の材料と人間の感性を生かした酒造りを続けていきたいと、菊姫のHPに書いてありました。常に挑戦を続け、また、古来の技術を洗練伝承しながら、勘、感覚、そういうものをきちんとデータ化し現代の技術に応用しているのだそうです。考えてみれば秘伝とか伝統の味とか、経験などに頼り過ぎで、不確定な要素がありすぎで、造り手によって味が違うんじゃだめですもんね。日本酒に対する愛、日本酒を好きな人たちに対する愛を感じました。もしよかったら一度お試しください。 

 【2013年5月】 《ONE TIME BRASS BAND》

どこもそうだと思いますが、街は変わっていきます。ついこの前まで本屋だったところが古着屋になってたり、カフェだと思っていたところがお菓子屋になってたり、コンビニになってたり、ちょっと無沙汰している商店街、小粋な通りに入ってみたりすると、相当に様変わりしていて驚いたりします。数年前、地方に住んでいる妹と話をしていると高円寺という街は有名だといいます。人気ドラマの舞台かなんかになったとか、あるいは情報番組で取り上げられた、みたいなことで知っているのかと思ったら、古着の街で有名なのだと教えられました。高円寺に長く長く住んでいるくせにまるで知らなかったのです。しかし毎年10月に開催している高円寺フェスというイベントに参加してみて納得。高円寺には素敵な古着屋さんがたくさんあるのです。安くていい飲み屋もたくさんありますけど。高円寺商店街連合会が発行する「高円寺観光計画」というフリー雑誌に、JIROKICHIのことを大きく取り上げていただいたので、どれどれとぺらりめくっていると、これ、フリーと思えない素晴らしい内容で、感心してしまいました。こんな店もあるのか、とか、へー、ここはどの辺だろう近いじゃん、とか灯台下暗し、高円寺という街の文化も日々成長しているのだとよくよく実感させられました。暖かくなってきたし、ちょっと地元、高円寺を散策してみようと思っています。皆さんも是非。

  【2013年4月】 《寺地美穂》

ようやく春になりました。今年は花粉、PM2.5、黄砂、のトリプルアタックだそうで、アレルギーのある方は例年以上に苦しんでいらっしゃるようです。中国の環境問題、本当になんとかしてほしいですね。ところで、最近、JIROKICHIのHPに掲載されている「次郎吉物語」を再読しています。そのなかに、執筆した故荒井誠がオーストラリアに旅立つ、という件(くだり)があるのですが、そのなかに「マンドレ」というアフリカ人が出てきます。彼を訊ねてオーストラリアに、という話なのですが、このマンドレさん、じつは次郎吉のスタッフだったらしいのです。昔の資料を整理していたところ、カウンターに入って、明らかにアフリカ人がバイトをしている、という写真を発見しました。これは誰?という話になって、最古参のスタッフ、ワオさんなど昔のJIROKICHIを知っている方々に事情を聞いたところ、え、っと、驚いたのですが、彼はアフリカはマダガスカル島近くの島国、ザンジバル王国という国の王子だったというのです。王子様がJIROKICHIに…!というかおそらくもう50歳を過ぎ、王様になっているんじゃ?!と、当然気になり、調べてみると、なんとザンジバルという国は、政変などを経て既に存在していませんでした。マンドレさんは、一体どういう経緯でJIROKICHIでバイトをすることになったのでしょうか。そして今はどこで何をしているのでしょうか。

 【2013年3月】 《大西ユカリ》

JIROKICHIは39歳になりました。39年分の資料、写真があるのだろうと、段ボールを漁ってみました。ところが、写真資料については、初期、70年代のものがかなり少なく、当時のスタッフやお客さんの記憶にしか残っていないことが多いのです。ところが、1985年頃から使い捨てカメラが流行して、そのころだけは店内の写真がめちゃくちゃあるんです。きっとそれまでは、カメラなんか気軽に持って飲みに来る人はいなくて、盛り上がったとき、こんな面白い瞬間を記録できればいいのに、とみんな思っていたのでしょう。しかしみんな酔っぱらいで、撮ってるときは楽しいのでしょうが、正直、面白くない写真ばかりです。まあ、今でいう写メみたいな感じで、無駄に撮影されているものがとにかく多い。更に時代が進み、90年代後半になると、デジカメが普及。2000年代に入ると、携帯電話で撮るのが主流になり到頭写真は現像されなくなります。写真資料自体がなくなってしまったのです。みんな携帯のデータに保存してあるつもりが、機種変、スマフォに変えたり、そのたびにデータを無くしたり、パソコンに保存したりしている人もいるのだとは思いますが、あの写真屋さんで現像してくれたときにもらえたアルバムのような形では全然残っていません。さて、困った。一方、写真以外の資料は、初期の頃の方が豊富です。印象的なのは、店の外装の絵コンテとか、昔の落書き帳、イベントの企画書とか、ポスター、8mmカメラの映像など。70年代の匂いがします。味がある。70年代から80年代初期というのは、パソコンも携帯も無いし、アナログで、面倒なことがたくさんあったはずですが、(人間もめんどくさい笑)なんとなくいい時代だったのかな、とそれらを見て思ったりして、来年の40周年に向けていろいろ考えているのです。

【2013年2月】 《古田光郷》

今月の表紙は、京都出身のシンガー&ギタリストの古田光郷さんです。古田さんは1986年、アルバイト情報誌From-AのCMソングコンテストでグランプリを受賞して上京、Boundというバンドでメジャーデビューしました。永井ホトケ隆さんらと同じ所属事務所だった関係もあり、JIROKICHIに出演してくれるようになりました。当時JIROKICHIは、日本語でロックをやるようなバンドは出演していなかったそうですが、古田さんたちはそんなこと関係ない、という勢いだったそうです。私がJIROKICHIに入った頃はもうBoundは解散していましたが、その後もソウルフルな歌声と切れの良いギターカッティングを看板に、数々のバンド、ユニットで活躍、JIROKICHIには毎月のように出演してくれました。また、よく飲みにも来てくれました。いろいろ教えてもらったし、私にとっては兄貴のような存在だったのです。古田さんは今春、東京を離れ、活動の場を地元京都に移す事になりました。古田さんの今後の活躍を応援し、激励したいと仲間たちが集まって21日、壮行会ライブが開催されます。東京での27年に及ぶ活動で一緒に音を出した仲間たちとの特別なセッション。皆さん、是非足をお運びください。話は変わって、今年、JIROKICHIは39年目を迎えます。39周年ということで、なにかお客様に感謝の気持ちを込めて楽しいライブを提供できないかと考え、3月9日の土曜日に『Thank you ! JIROKICHI39周年スペシャルライブ 吾妻光良トリオ」を企画しました。なんとチャージは¥390です。吾妻さんはピアノを弾くし、牧さんのマンドリンも聴ける?みなさま是非お越し下さい。

【2013年1月】 《木村充揮》

2013年は、一体どんな年になるのでしょうか。子供の頃、ノストラダムスの大予言という本が社会現象になり、1999年に人類が滅亡すると言われていました。しかし滅亡せずにこうして生きているわけですが、北朝鮮がミサイルを撃っただの、7年以内に大地震が来るだの、なんだか落ち着かない今日この頃です。 昔、JIROKICHIで働き始めた頃、のんきに毎日が楽しくて、店が終われば毎晩のように飲みに行っていました。当日に出演していたミュージシャンと一緒になることも多く、旅の話や、○○な話、音楽についてなど興味深い話をたくさん聞かせてもらったのです。ある日、かの有名なブルースバンド・憂歌団のボーカル、木村充揮(きむらあつき)さんがJIROKICHIに出演して、最高な歌声を聴かせてくれました。そして木村さんはいつものように高円寺の夜に繰り出したわけですが、その後、私たちが行った居酒屋にたまたま木村さんが居たものですから、私はすっかり有頂天になってしまったのです。図々しく隣に座らせてもらって、いろんなお話をさせてもらったのを覚えています。しかし、若さに任せて無鉄砲に飲む頃のことですから、泥酔し、相当にご迷惑だったろうと思います。やがて、とにかくいい気分で店を出て、もう朝方近くだったと思いますが、帰ろうと思って千鳥足で歩いていました。すると遠くから怒鳴り声が聴こえます。非常に怒っています。その人はズボンのポケットに手を突っ込みながらそれを左右に突っ張らせ、鬼の形相で僕らの方に向かって歩いてきます。よく見ればそれは今は亡きJIROKICHIのマスター荒井誠ではないですか。『おまえら何やってんだ!店が火事だぞ!』当時、何かと浮かれていた私たちは、タバコの火の始末もおざなりにして飲みに行っていたのです。幸い吸い殻を捨てていたブリキのゴミ箱がほんの少し燃えた程度で済んだのですが、今思い出してもゾッとします。それからは指差し確認を欠かしません。 そういうわけで(笑)なんとかJIROKICHIは39周年目を迎えることができそうです。みなさん、どうか2013年もよろしくお願い致します。それと冬場は乾燥しますので火の始末には十分に気をつけてくださいね。あ、その思い出の木村充揮さん、1/25に登場します!ご予約をお待ちしております。

【2012年12月】 《石田長生》

JIROKICHIでライブを楽しんだ夜。心に響く熱い演奏、感動、笑い。それらが冷めやらぬうちに、たとえば帰りの電車の中で、さっきの演奏が即聴けるとしたら…。とうとうそんな時代が来てしまったのです。そしてその音質は何十万もかけて行われるライブレコーディングのようなクオリティー。マルチで録音していますから、ポータブルタイプのレコーダーで録音したそれとは桁違いに良い音で提供されます。しかも日本一音が良いと言われる(手前味噌)このJIROKICHIですから。皆様は帰り道、OKMusicというサイトにスマホでアクセスしてそのライブを購入。もうさっきの演奏が聴けます。すごい。そしてそのシステム、なんともう導入されていて、11月27日のトリオ・ザ・リラックスのライブ当日から、いきなり配信が開始されます。詳しくは別紙のフライヤーをご覧ください。そしてミュージシャンの方々、興味がありましたらお声をおかけください。当日頼まれても大丈夫なようにしときます。しかし時代はどんどん進化します。iPhoneなどスマホ。便利すぎて依存しまくりです。パソコン。Mac。その性能はもう最高です。これ以上どうなるの?という感じです。ところが先日のことです。自宅の愛機、Mac Book Pro(ノート型パソコン)が突然返事をしなくなりました。最近ちょっと雑に使ったりしたから拗ねているのかと思い、優しく起動ボタンを押したりしてみましたが、やはり返事どころかもう目も開けてくれません。こりゃ五万円くらいはかかるかな…と、落ち込んでいましたが、修理に出す前に、私はあるトランぺッターを思い浮かべました。彼はトランぺッターとしてすばらしい活躍をするにとどまらず、パソコンなど家電に詳しく、日々バラしては組み立てる、というすごい趣味を持っていたのです。しかしロシアにツアー中だったかも。まあメールしてみよう、と言うわけで連絡をとったところ、帰国したばかりだというのにすぐにパソコンを分解してデーターを救ってくれた上に、壊れたHDもSSDに交換してくれて、完治。パワーアップして高速になって完治。驚いたなどという表現では収まらないほどでした。すごすぎ。その家電ミュージシャン、辰巳光英さんは、電気関係に詳しいだけでなく演奏にもエレクトリックなアイデアを導入していて、テルミンの演奏なども得意としています。渋さ知らズというJazz集団で活躍しているので知っている方も多いと思いますが、そんな特技があるのなら、と、12/22の昼、JIROICHIで辰巳さんのワークショップを企画しました。いやー絶対面白そう。テレビを買おうと思っているのでアドバイスしてもらおうかな。テルミンって触って音出してみたい!詳しくはHP等をご覧ください。

【2012年11月】

ライブを聴いて感動するってどういうことなんだろう。最近ときどき、そんなことを考えます。巧い演奏、素晴らしいテクニック、楽曲、パフォーマンス。そんなところでしょうか。生演奏ですから単純に『迫力』ということもあるかもしれません。またライブを聴きにくるお客様によってそのポイントも違うのかもしれません。初めてライブハウスというものを体験したのがJIROKICHIだった私は、目の前で迫力のあるブルースバンドを聴いて感動しました。しかし、ロックのライブハウスやホールコンサートとは違い、手を伸ばせば届きそうだし、簡単に演奏しているようにも見えて、これは自分にもできそうだ、と安易に思ったのを覚えています。しかしその演奏には、練習、経験、感性、集中といったものが凝縮されていた、ということを、かなり後になって知りました。つまり感動はしたけれど、何に感動したのかよくわからなかったのです。先日、blues.the-bucher-590213というブルーズバンドのハーピスト、kotezさんから聞いた話です。ある地方で演奏し盛り上がり、その終演後、感動したお客さんがkotezさんのところに来てこう言ったそうです。「素晴らしかったです。ところでkotez さんは何を演奏をされていたんですか?」ハーモニカは小さいし、手で包み込むように持つので、もしかして見えなかったのかもしれませんが、多分音色やフレーズもハーモニカだと思わないし全体の音も大きいし、聴こえなかったのだと思います。ドラムやギターはポピュラーだから、音が鳴っているのは判るでしょうが、演奏のパートなどを聴き分けるには、ある程度の耳の慣れや知識も必要です。JIROKICHIに来ていただいているお客さまの多くは、ご自分でバンドをやっていらっしゃたり、音楽が好きでライブハウスに何度も足を運ばれたりしている方が多いと思いますので驚かれると思いますが、普段、音楽を聴く習慣や機会の少ない一般の方々は、ブルースやソウルなんて知らないし、ブルースハープなんて楽器があるのも知らずにいて、案外そんな感じなんだと思います。でもそういったお客様やお子様、ご年配の方が感動して帰る様子を見る事があります。何に感動したのでしょうか。もちろんテクニックや迫力に感心したのかもしれません。しかしやはり心、気の入った演奏に感動したのではないでしょうか。人の心を動かすのは人の心を持ってのみだと、誰かが言っていましたが、その通りだと思います。熱い心、気合い。想い。そういった演奏が我々スタッフの気持ちも揺さぶります。kotezさんに質問したそのお客さんも、よくわからないけれどそういう、気合い、心意気、楽しんで演奏しているバンドの様子に感動したのだと思います。

 【2012年10月】

先日、高円寺のある練習スタジオで、『即レコ』というYAMAHAの画期的製品を試してきました。演奏が一発録音できるというシステムです。バンド練習をするときなど、皆さん、お手持ちのレコーダー、もしくはスタジオに常設してあるレコーダーなどで録音しますよね。結構それで十分というくらい、昨今は各製品の品質が向上していて、まったく便利です。ので、その「即レコ」とかいう製品、そのシステムが今更どう良いのか、ということが、それを薦められた多くのバンドマンにとって本音であり、はっきり言ってぜんぜん期待してないわけです。ところが、その「即レコ」というやつ。 驚きました。まさに即レコーディングできてしまうのです。そんなもん、どこのスタジオでも…いや、ちょっとお待ちください。まず、カウンターでipadが渡されます。(料金は他の部屋と同じです)スタジオに入るとすでにマイク類はセッティングされています。iPadの画面で、録音したいバンドの形態、例えば、ギタートリオなら「ドラム」「ベース」「ギター」「ヴォーカル」と選んでポッ、ポッと押します。次の画面に行って「録音」を押します。あとは演奏するだけ。録音されたものが高音質、グッドバランスで、すぐに再生できます。しかも同時にネットにアップされています。アクセスしてダウンロードが可能です。その場でスマホで聴けたりもします。音はマルチで取っているので、つまりレコーディングしたのと同じです。問題があるとすればコーラスなどでしょうか。声量には個人差があるので、しかしそれは、マイクから少し離れるなどして自ら調整すればばっちりです。 インディーズのレコーディングにおいて、いちばん問題なのはドラムをどう録るか、につきるわけですが、あっさりクリアー。デモ程度のレベルならそのままで十分です。こだわりたければ、マルチで(タム、バスドラ、スネアなど個々に)録音されていますから、それをダウンロードして、自分たちでミックスできます。しかし何より練習に使えばとても有効です。マルチで録音した事がある人は、よくわかると思いますが、どれどれ、と再生すると非情にシビアなそれが再生されてしまいます。思わず楽器やシステムのせいにしたくなるほどシビアです。つまり、うまくならなければ「即レコ」で録ったものは世間に発表できません。リズムがどうのとか、演奏技術がどうのとか、そういうこともありますが、即レコでもっとも鍛えてほしいのは、バランスです。録音して、その各楽器パートのバランスが悪いと思ったら、それはバンドが悪いのです。昨今のライブハウスはPAシステムの技術が向上し、バンドのバランスが悪くてもなんとかなってしまいます。バンドさんは、PAの仕事に頼り切っているわけです。しかし断言しますが、かっこいいバンド、うまいバンド、そしてJIROKICHIに出ているプロミュージシャンは、PAなどなくとも素晴らしい演奏ができます。PAにいろいろ注文をつけているバンドほど、ぶっちゃけへたくそです。(もちろん楽器によっては、難しかったり、しかたがないこともあります)声量の問題や、爆音じゃないと気持ちよくない、とか、理解はできます。しかし、わかっててやっていればいいのですが、PAにバランスをとってもらうのが普通だと思っていてはだめです。即レコをそういう練習に使ってもらえたらと思います。あ、ちなみにYAMAHAの宣伝をしてるわけじゃありません。なにももらってません(笑)JIROKICHIに出ているミュージシャンがいかに素晴らしいか。と、いいたいのです。

【2012年9月】

昭和30年代。日本のジャズは、世界のナベサダ・渡辺貞夫さんが登場したことで飛躍的に発展しました。初めて世界に肩を並べた穐吉敏子さんに続き、アメリカに留学したナベサダは、本場と対等に演奏し、その空気を吸収して颯爽と帰国しました。帰国後は、ジャズの枠を飛び越えアルバムをヒットさせ、70年代のフュージョンブームに火を付けました。 亡くなった名ジャズドラマー古澤良治郎さんは、あの愛嬌のある東北なまりでこうおっしゃっていたのを思い出します。 「貞夫さんが帰国したときは衝撃だったんだよ。みんなで聴きにいってさ。かっこ良くてさ。チャーリーパーカーとか、みんな憧れて勉強していたレコードと同じ音を出していてビックリしたんだ」そして日野皓正さん、菊池雅章さんなど、後続の才能が一気に世界へ飛び出しました。一方、フリージャズの世界では、山下洋輔というサムライが現れました。何一つコネもなく、事前の地ならしのようなものもなく、もしかして日本という国さえ知らない人たちのいるヨーロッパの各地を転戦し、大喝采を浴びました。さらに次の新しい波、日野さんや、菊池さんのグループで頭角を現したテナーサックスの峰厚介(みねこうすけ)さんは、渡辺貞男さんのグループで活躍し若手のスターになったピアノの本田竹広さんと出会います。 やがて二人は、JIROKICHIでのセッションをきっかけに、JAZZをロックやFunkと融合させたフュージョンバンド、「ネイティブサン」というバンドを結成します。強烈な個性と才能で話題を呼び、アルバムは大ヒット、世界ツアー、CMに出演するなど一時代を築きました。 高円寺で毎年夏の終わりに開催されるイベントに「高円寺阿波踊り」というのがあります。今では考えられませんが、JIROKICHIのマスター荒井誠(故人)は、南口の駅前に特設会場を作り、そこでネイティブサンのライブを敢行してしまいます。人気絶頂の頃です。阿波踊りは毎年20万人を超える人々が狭い高円寺に集まるのですが、当時、そこまでではなかったにせよ、阿波踊り+ネイティブサンのフリーコンサートのわけですから、それはもうパニックが起きます。そして機動隊か出動。ライブは中止させられてしまったそうです。 JIROKICHIを根城に活躍したネイティブサンのメンバーの中で、いまでも素晴らしい活躍しているのが、峰厚介さんとドラムの村上寛さんです。そしてその村上さんがボトムを支える峰厚介カルテットのアルバム「With Your Soul」 は、亡き本田竹広さんへの想いが込められています。”魂”をぶつけ合い、”魂”で語り合ったジャズマンたちの傑作アルバムです。バータイムにこのアルバムを聴くと、素晴らしい演奏に感動するとともに、毎晩のようにJIROKICHIのカウンターにいた今は亡き本田竹広さん、本田さんと喧嘩してた古澤良治郎さん、そして彼らを愛したジロマス・荒井誠のことを思い出してしまうのです。

【2012年8月】

原発など必要とされないのに、どうして再稼働するのか。踏み倒される可能性の高いODA(とくに中国には6兆円)や、使わない戦闘機の購入に巨額を投じながら、震災後の不況が続くこの最悪なタイミングでなぜ消費税を上げるのか。政治家というのは政治を商売にしている人が多く、様々な配慮や関係省庁の思惑、利権、巨大資本の意思に沿って活動しているだけのように見えます。しかし今の民主党を選んだのは私たちです。つまり、ODAも消費税も原発も私たちが選挙で選んだ人が賛成し、認めているのだということです。テレビのバラエティー番組や韓流ドラマなどばかり見ていて真実を知ろうとしない馬鹿な国民などは、選挙でタレントでも候補にしとけば大丈夫、と思われています。減税しますとかガソリンを安くしますとか大げさに宣伝すれば騙すのは簡単だと思われています。完全になめられているのです。さらに言えば、政治家は裏でずるい事して儲けているに違いないとか、金をもらい過ぎだとか、そんなステレオタイプなことを語るまえに、政治家ではなく、本当は銀行家や資本家の立派な紳士たちが税金を巧妙に利用し資産を蓄え、さらに都合良く法律を要請し、政治家を利用し、国を動かしているということを知るべきです。 などと、朝方、飲み屋で演説していると、どうしても小腹が空いてきます。何故なんでしょうか。でもラーメンじゃないし、牛丼じゃない。そんなとき最高なのは早朝から営業してくれている立ち食いソバ屋さんです。高円寺の駅からJIROKICHIに向かって歩く途中に『桂(かつら)』という立ち食いソバ屋さんがありますが、最高です。そこの『めかぶそば』は本当にうまい。(もちろん他のメニューも美味しいですが)○士そば、なんてとても比べられないほどです。ちなみに私は、朝、昼、晩と啜ったことがあります。「桂」さんは最初は八百屋さんとして昭和46年に開業したそうです。JIROKICHIの出演者も本番前に軽くツルッと行く人が多いですね。以前、ご主人のお加減が悪いとき営業時間が短縮されたり、しばらく休業だったりしたことがありました。そのときは、多くの「桂」ファンが心配し嘆いていましたが、今は復活。以前にも増して美味しいソバを提供してくれています。桂さん、がんばれ!と勝手に応援したりして。あ、JIROKCHIのごはんも美味しいですからね。

【2012年7月】

JIROKICHIの定休日を利用して開催した、音楽のワークショップVol.1 。第一回目は、ギタリストのヒロナリ氏を迎えて開催しました。全部で三回完結のギターワークショップ。最終日はプロミュージシャン達とのセッションです。 長年、ニューオリンズでギタリストとして活躍したヒロナリ氏のワークショップは、どんな感じになるのだろうと覗きに行って参りました。ヒロナリ氏は、有名なニューオリンズ・ファンクのセッションスタンダード曲”シシーストラット”を提示。最終日に演奏できるようになろう、と提案しました。そして、まずリズムから。音楽理論的なスケール練習や曲のコピー、機材の充実などにばかり、つい目がいきがちな一般ギタリストたちですが、じつは(どの楽器も、歌もそうですが)リズムが非常に大事です。プロミュージシャンたちとセッションをすればわかりますが、小手先のテクニックや、高価なアンプ・エフェクターなどは二の次なのだ、と実感することでしょう。ニューオリンズなんて、まさにそういったセッションの聖地です。リズムを知らない人は、テクニックが少々あってもセッションに誘ってもらえないでしょう。そんな中で実戦を経験してきたヒロナリ氏のワークショップは、リアルでとてもいいなと思いました。最終日、参加者の方々は、プロミュージシャンとのセッションを緊張しながらも楽しんでいました。皆さん、良い経験になったはずです。音楽のワークショップVol.2は、8月の後半、昼間に予定しています。次回の講師にはなんと、バカボン鈴木さんを迎える事に決定!ベースを教えるのではなく、使用機材についてや、楽器のメンテナンス、ミュージシャンとしての心構え、経験、などを質問形式で答えていただく説法会、いやワークショップになる予定です。ベーシストはとても気になるんじゃないでしょうか。もちろんミュージシャンの方でなくてもベーシストじゃなくても楽しめそうですね。是非ご参加ください。