毎月発行している「紙」スケジュール裏面に掲載している <店長のつぶやき>です

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【2025年3月】《江藤良人 》

JIROKICHIはおかげ様で50周年を迎えました。皆様にあらためてお礼を申し上げまず。

ところで50年のあいだには、ライブ以外にもいろいろなできごとがありました。ここには書けないようなびっくりするようなことがあったし、昔の話をきいたりもしましたが、記録しているはずもなく、多くは忘れてしまって、とくに50年前、40年前となると当時を知る関係者も少なくなっていて残念です。

しかし、未だに忘れないこともあります。
たとえば、昔は、ジャズのライブをよくやっていましたが、昔のジャズマンは変わった人が多くて、わたしが入ったころも驚くようなエピソードをもつ人がたくさんいました。今では考えられないのですが、ライブの当日来なかったり、リハーサルの後にふらっと外出して開演時間になっても帰って来なかったり、ライブ中にお客さんとケンカしたり、結局、来なかったいいわけに怪しげなファックスを送ってきたり、リハーサルではすごい演奏をするのに、本番になると酔っ払いすぎてちゃんとドラムが叩けなかったり……と枚挙に遑がありません。

これはきいた話ですが、あるベテランサックス奏者の逸話です。本人にお会いした際、さもありなんと思ったので、おそらくほんとうの話だと思います。

あるジャズのグループのライブで、レギュラーメンバーであるサックス奏者が来ません。最初のステージが終わったころにやっと現れて、至極真面目に、しかし、呂律の怪しい口調で「ごめん、雨漏りがひどくて……」と遅刻のいいわけをします。バンマスは、「そうかい。昼間、あんなにいい天気だったし、今も雨なんか降っていないのに、きみのうちは大変だね」

これは同じサックス奏者の別の日の話です。本田竹広さんというジャズピアニストのバンドが、ある地方のホールでコンサートをするというので、ちょうど店がおやすみだった私たちは、スタッフみんなで、コンサートの手伝いを兼ねて遊びに行かせてもらいました。ところが、ホールに到着すると、現場の空気がざわついています。リハーサルがはじまっても、例のサックス奏者が一向に現れないというのです。当時は、携帯電話とかありませんから、連絡が取れないし、ジロキチで演奏するのとは違う、ちゃんとした市民ホールのコンサートですから、関係者は慌てています。本番の時間が迫っています。バンドのメンバーはシャツにジャケットでビシッときめ、楽屋で待機しています。
本番の直前になって、例のサックス奏者がようやく到着しました。しかし、どういうわけか、麦わら帽子に半ズボン姿、昭和の夏休みの少年のようなかっこうをしています。しかも、楽器を持っていないのです。
「お前、サックスはどうしたんだ」
本田さんは眉根を寄せ、低く、険しい声でいいます。サックス奏者は、例の呂律の怪しい口調で、
「新幹線の中に置き忘れてきちゃった」
などといいます。本田さんはもう一段上のきびしいトーンで、
「お前、このまま帰れ」
と怒鳴なります。そのときのサックス奏者のリアクションでした。しゅんとなって首をすくめた姿です。私は張り詰めた空気のなか、笑いを堪えるのに必死だったのでした。

【2025年2月】《菊田俊介 》
50年前の2月1日、JIROKICHIは「生聞居酒屋次郎吉」として正式にオープンしました。
オープニングは「泥棒公演」と銘打って,フォークを中心としたライブイベントが行われましたが、ジロマスこと創業者の荒井誠は、出演者のギャラを紛失するなど波瀾万丈のスタートでした。

50年前のJIROKICHI。
当時の様子を知る人は少なくなっています。70年代、ウエストロードブルーズバンドで人気を博し、現在も「blues-the-butcher590213」のボーカル、ギターとして第一線で活躍する永井ホトケ隆さんは、オープン当初からJIROKICHIを知っている方の一人です。先日、2月1日の50周年記念イベントの打ち合わせがてら、お話をきかせてもらいました。

50年前のライブスケジュール。ウエストロードブルーズバンドは、毎月のように出演していたようです。連日、お客さんは満杯だったそうですが、ウエストロードの他、上田正樹さん、金子マリさん、Charさん、山下達郎さんなどすごいメンツの名前があり、また、スケジュールに掲載されない深夜には、豪華なメンバーでジャンルを超えたセッションが行われていたそうです。そういったセッションで、ジャズの大御所、渡辺貞夫さんとウエストロードブルーズバンドのギター、塩次伸二さんらブルーズバンドの人たちがセッションを通じて交流したり、ジャズドラマー古澤良治郎さんと山岸潤史さん、ホトケさんたち、その他、様々な核反応が起こり、新しいバンド、新しいジャンルが誕生していきました。

ところで、ウエストロードブルーズバンドのメンバーは、各々、ブルーズのみならず音楽的資質が高く、解散後も一流のプロミュージシャンとして活躍し、JIROKICHIのみならず、いわば、音楽業界の土台の一旦を担っていました。ギターの山岸潤史さんは日本での活躍にとどまらず、裸一貫でニューオリンズに赴き、あっという間に押しも押されもせぬ世界的なギタリストとなりました。
「……結成したばかりのウエストロードはかなり練習をされたんですか」
質問すると、ホトケさんは「練習はよくやったね」といいます。当時、ブルーズの譜面集などもちろんなく、レコードを擦り切れるまで聴いて必死にコピーするしかない状況で、あーでもないこーでもないと、メンバー同士、下宿などで、いつも顔を突き合わせていたそうです。当時、すでに名の知られていたウエストロードブルーズバンドに、来日するB.B.キングの前座の話が舞い込みました。公演の最後に、B.Bキングや彼のバックバンドとセッションしたウエストロードのメンバーは、大きな衝撃を受けます。
「なにもかも、ぜんぜん違ったんだよ」
ホトケさんは、ハイボールのグラスをトンとテーブルに置き、目を輝かせ、当時の衝撃をありありと語ってくれました。同じ機材を使っているのに、リズムが違う、音色が違う。音のダナミクスが違う。ウエストロードのメンバーたちの性根は「本気」に入れ替わり、各々、音楽を真剣に追求することになったのだそうです。
そうして、JIROKICHIは、ホトケさん、山岸さんをはじめ、各メンバーたちが日本を代表するミュージシャンたちと、様々なバンドで出演してくれて、50年を支えてくれたのでした。
今のJIROKICHIがあるのは、B.Bキングが日本に来てくれたからかもしれませんね。

 

【2025年1月】《BIG HORNS BEE 》

2025年、JIROKICHIはとうとう50周年を迎えることになりました。日本で、同じ場所で、50年以上続いているライブハウスは数店しかありません。なかなかすごいことではないでしょうか。これは、ほんとうに、心意気のある素晴らしいミュージシャンたちと、優れたセンスをお持ちのお客さまのおかげです。スタッフ一同、心から感謝申し上げます。

ところで50年といえば、半世紀ですから、社会は大きく変わりました。常識、一般の嗜好、思想、価値観、科学技術、医療、人間関係、情報、通信、サービス……50年前からは想像もできない時代に、いま、JIROKICHIは同じ場所に存在しています。創業当時とは、スタッフもお客さんもすっかり入れ替わっているし、内装や外観、機材なども少しづつアップデートされているはずですが、JIROKICHIはJIROKICHIとして、そのまま残っているのです。

変わらないこともあります。JIROKICHIに限りませんが、それは、人の「心」です。

年代によって価値観や常識が違っても、人の心を感動させるのは、やはり人の「心」しかないんだと、いま、実感します。ミュージシャンの演奏の技術がいくら上がっても、手軽に録音や再生ができる時代になっても、AIがどんなに高度な曲を作れても、それらはわたしたちにほんとうの感動を与えてはくれません。

JIROKICHIという空間で多くの感動に出会ってきました。若いころ、演奏を終えてBARカウンターでお酒を飲む優れたミュージシャンたちに、多くの「心」を学びました。そして、わたしがBARカウンターの内側から見ていた景では、今は亡きJIROKICHIの創立者、荒井誠の心は、ミュージシャンたちにしっかり伝わっていたし、ステージに立つ本物のミュージシャンたちの心は、わたしたちスタッフも含め、リスナーにダイレクトに届いて、ときには鳥肌を立たせ、涙が滲んでくるような日を与えてくれました。

わたしたち人間に備わった、生きるための高度なシミュレーション機能としての「心」には、共感、そして共鳴という副作用があって、音楽は、その副作用から生まれた芸術の一形態として、長い年月を経てきました。しかし、芸術が与える感動は、時代を超えて、国境も超えて、古代も今も、その作家や演者の「心」なのです。心のないチェーン店の料理やコンビニの食材があまり美味しくないのと同じで、心のないミュージシャンの演奏はどんなにテクニックがあっても味気ない。

2025年は、年間を通して、わたしたちの「心」を伝える一年になることでしょう。スペシャルライブのほか、様々なイベントを開催させていただこうと思っています。

JIROKICHIは「心」を失わない限り、まだ、きっと、ずっと続いていくと信じて。

 

【2024年12月】《吾妻光良 & The Swinging Boppers 》

若いころからバンドを組んでいたわたしは、そんなに頻繁ではないけれど、ライブをやったりイベントを企画したり、自分の能力の限界に挑戦しようと、必死にもがいていたような気がします。結果はほとんど出なかったけれど、とにかく力を尽くしたという自負に似たなにかを、どこか胸の奥に持っていて、時間を浪費してしまったというような後悔はなく、それどころか、今となっては、大切な経験だったと誰かに語れるくらいかもしれません。

ところで、わたしの息子は幼いころから、ライブ会場に連れて来られて、そんなわたしの姿を見ていました。しかし、彼が将来、バンドを本格的にやることなるなどとは夢にも思っていませんでした。というのも、ライブ会場に来ても、終始ポータブル・ゲーム機を離さず、とにかく早く帰りたいようで、さほど音楽に興味のないらしい子であると、わたしの目には映っていたからです。

小学校六年生になったころです。夕方、風呂に入って髪を洗っていると、学校から息子が帰ってきました。玄関のドアを開けると、まずランドセルを部屋の中に投げつけ、興奮した様子で風呂場に来るなり、「パパ! オレにロックのすべてをぶちこんでくれない?」
と叫ぶのです。わたしの顔はシャンプーに塗れていますから、返事もままなりません。
「う、うん……えっ?」
しばらくして風呂から上がると、彼はもういません。翌日もまったく同じタイミングで帰って来て、同じようにランドセルを投げつけ、またシャンプーをしていたわたしに、今度は、
「ゴスペルとロックって被るよね!?」
と叫んだのです。で、また、風呂から上がるともういません。

小学校6年のあの日、一体なにがあったのか、先日、すっかり大人になった息子と酒を酌み交わしながらふと尋ねると、その場面も経緯もまったく覚えていないといいます。しかし、彼にとって、あの日がロック衝動の初日、人生の分岐点だったに違いありません。
やがて、中学生になると、早くもバンドを組み、高校生のころはコカコーラのCMの演者に抜擢されるなど、十代から第一線でバンドマンとして歩み、必死にもがき、全力を尽くし、悔いのない青春を過ごしたようです。親子で酒を飲んで、そんな話ができるようになって、小さな幸福を感じつつ冬の足音に耳を澄ますのでした。

 

【2024年11月】《臼井ミトン with 中條卓+沼澤尚》

スライ&ザ・ファミリーストーンというバンドが好きです。

サンフランシスコを拠点に、1960年代半ばから1970年内代半ばごろまで活躍し、ヒット曲を多数出した、人種、性別、混合編成のファンクバンドです。

世界に、最高のファンクミュージックを提供し、ジャズや、ヒップホップなど後世に多大なる影響を与えたバンドですが、そのサウンドは、なにか、根底に重苦しいものが流れる感じの妙な暗さをもっていて、独特で、なんというか、不思議な魅力を放っています。

先日、知り合いのシンガーが二人、わたしのうちに来て鍋を囲みました。二人とも若いころからずっと音楽中心に人生を生きてきただけあって、やはり、音楽の話ばかりをします。

やがて、酔っていい気分になったわたしたちは、いまふうに、テレビの画面にYouTubeを検索しはじめます。スライ&ザ・ファミリーストーンはもちろん、あのバンドの映像はどうだ、こればどうだ、あれはすごい、などと、古いソウルバンドやブルーズバンドの映像を、それぞれがリクエストし、大いに盛り上がっていると、ふと一人が、アニメの主題歌について語り出しました。彼は、仕事絡みで、新旧のアニメソングをよく知っていて、とても詳しいのです。
懐かしい映像がわたしたちの心を捉えます。鍋を囲むわたしたちは、少しづつ世代が違うのですが、子ども時代を昭和に過ごしたのは同じで、YouTubeに流れるアニメソングたちは、どれも共有できるサウンドばかりです。

懐かしいを通り越して、これは好きだと感じる曲調の古いアニメソングが、いくつかありました。詳しい彼にきくと、どうやら、皆同じ作曲家の作品らしい。
宇野誠一郎? 知らないなぁ……
「ひょっこりひょうたん島」や「ムーミン」「一休さん」など、わたしたちの世代が必ず聴いた曲たちなのでした。そしてどの曲にも、根底に、なにか暗いものが流れている(気がする)。それでいて、不思議な魅力をもっているのです。
そうです。
わたしは、宇野さんの曲に、あのスライ&ファミリーストーンの曲たちと共通するなにかを感じたのです。「山ねずみロッキーチャック」というアニメの主題歌などは、明るい森の楽しげな動物たちの映像に合わせて流れるその曲の、なんというか、暗さというか、不気味さというか、何十年かぶりに聴いたにもかかわらず、わたしの心の奥深いところでなにかと共鳴するのです。

根底に流れる暗さ。
そうだ、わたしが好きな文学や詩、俳人などの好みも全部共通している。ああ、漫画も!わたしはもしかして根底に暗いものが流れる人間なのかも知れません。

 

【2024年10月】《なまず兄弟》

今年の夏はほんとうに暑かったですね。
そのせいか台風が矢鱈と発生し、大雨を運んできたノロノロの10号にやられ、JIROKICHI店内は浸水してしまいました。水を掻き出す作業が延々と続き、久しぶりに筋肉痛になったのが、今年の夏の唯一の思い出でしょうか。

ところで、どうして急に、こんなに日本の夏は暑くなってしまったのでしょうか。それは、みなさんもご存知かもしれませんが、地球の温暖化によるものです。

200年ほど前に起きた産業革命から、世界は徐々に変わりはじめました。それ以前と今の時代はまったく別世界であるといっても過言ではありません。たとえば1700年代の人々の生活と、1200年代、あるいは1000年代以前の生活にはほとんど違いはなかっただろうといわれています。つまり1000年以上、人々のくらしはあまり変化しなかったのです。

しかし、とくに産業革命以降、1800年代後半からの重化学工業の発展、第二次産業革命が起きると、人々の暮らしは一気に変わっていきました。さらに技術革新は加速し、現代のわたしたちは、100年前、50年前よりもとてつもなく便利で豊かな暮らしを享受しています。同時に、わたしたちは、化石燃料を大量に消費することになりました。つまり、豊かさの追求=CO2(二酸化炭素)の大量排出ということになったわけで、わたしたちは地球のことなど無関心に、ひたすら突き進んで来たのです。

しかし、科学の進歩で地球の大気の仕組みがわかってきたことにより、化石燃料の出すCO2のもたらす地球温暖化の影響に対し警鐘を鳴らす動きが出てきました。温暖化は、簡単にいうと、CO2が赤外線を地表に放射することによって起こります。温室ガス効果というやつです。けれど、その温暖化の理論を否定する説もあったりして、CO2削減はなかなか進まなかった印象でした。

ところが、ここ数年の異常気象によって、地球温暖化の理論がはっきり実証された形になったわけです。今、世界では、大急ぎで、CO2の排出を制限する方向で各国が話し合っているというわけです。

このまま行くと、日本の夏は、暑すぎて経済活動が止まってしまうでしょう。CO2による温暖化はウソだというような陰謀論的なことをいう人たちや、CO2削減ビジネスなどに踊らされることなく、ほんとうのことを知って、みんなで未来のことを考えたいですね。

 

【2024年9月】《リクオ》

お盆に帰省しました。
先祖の墓は、山間の道路傍から少し奥に入った小高い丘にあります。周囲は畑、そして森林というか、薮に囲まれている長閑な場所で、途中、家屋も数件あるのですが、ほとんど人の気配を感じない場所です。

墓の周囲は、雑草の天国になっていて、線香をあげる前に手入れをしなければなりません。「おまえ、その格好で行く気かい?」
母は、寝そべってまどろんでいる私の夏休みの服装を見て呆れています。ヒルがいるというのです。ヒルには、動物に取り憑いて血を吸うタイプのがいて、山奥に住むサルの下山に伴って、墓地の辺りにもヒルが生息するようになったといいます。

私たちは暑い中、長袖に長ズボン、手袋、ズボンと靴の隙間や手首にガムテープ、という完全防備の出立ちで墓地に向かいました。

いくら山奥とはいえ、日差しは強く、昨晩飲み過ぎた私は、まだ草刈りもはじまらないうちにクラクラとしてきて、爽やかではない汗をかいています。

ようやく草刈りを終え、墓を掃除し、線香を上げ、手を合わせると、車に戻りヒルが体に取り憑いていないか確認します。
「大丈夫みたいだよ。やれやれ」

というわけで、お昼、私たちは高校生の姪がアルバイトをしているという温泉地に近い山奥の蕎麦屋に向かいました。ヤマゴボウを繋ぎに使っているという珍しい十割蕎麦は、香りも歯応えもあって美味しく、姪の仕事ぶりのおかげか、店主の心遣いで、甘く煮付けた舞茸の煮物も出されました。
「何かしら? コレ」

蕎麦を食べ終わった母がテーブルに落ちている茶色い豆のようなものを割り箸でつついています。こぼれ落ちた舞茸の切れ端だろう、などと言って、まったく関心を持たなかった私たちは、そろそろ出ようという雰囲気になっています。

そのとき母が小さく悲鳴を上げました。テーブルを見ると、つついていたものから真っ赤な液体が溢れ出ておしぼりに滲んでいます。
そうです。舞茸ではなく、コレが噂の吸血のヒルだったのです。母の血をたっぷり吸って太って、なぜかテーブルの上に転がっていたのでした。
「おいマジかよ」
私たちはみな、一斉に背中をくねらせ、体中を点検しました。すぐ、母の足に噛まれた流血の跡を発見します。ゾッとしました。
ヒルは、動物や人間に取り憑くと、シャクトリムシのように体をよじ登って、肌に直接触れられるところを探します。靴の隙間などから潜り込んで吸い付くとまず麻酔液を出すのだそうです。そのため、噛まれても痛みがなく、吸われているのに気が付かないのだそうです。

墓参りのその晩は、母の足のヒルの話しで盛り上がり、また飲み過ぎてしまいました。墓に眠る父や祖母、亡妻もきっと驚いたり笑ったりしていたことでしょう。みなさんも川や山遊びに行く際は気をつけてくださいね。ちなみに、塩水を吹きかけておくといいそうです。

【2024年8月】《大西ユカリ》

ドキュメンタリー番組を見て泣いてしまいました。

2014年から戦闘が続くウクライナ南東部、ドンバス地方に住む五人の若者の物語です。
親ロシア派の反政府勢力との戦争によって破壊された故郷で、廃墟の絵を描く少女や、炭鉱で働きながらヒップホップの曲を制作する少年たちは、自分たちが世界から取り残されたような絶望に生きています。

そんな中、彼らは、ある冒険家からヒマラヤ旅行に招待されます。登山の途中の美しい景色や、知らない土地の文化、頂上で体験した日の出の光景などに触れ、感動し、彼らの表情は次第に明るく変わっていきます。
世界はドンバスだけではない、無限に広がっていると感じたのです。しかし……ウクライナには、ロシアの大規模な軍事侵攻の足音が迫っていました。

それから一年後の2022年、無限の可能性を感じたはずの若者たちの夢は、ロシアの侵攻によって儚く崩れ去ります。一家離散で連絡さえ取れなくなってしまった子たちもいます。ヒマラヤの山頂にウクライナの国旗を立て、高揚しながら深い霧の中を下山していく途中、これはもしかして夢かも知れない……そんな言葉を残した若い彼らの未来には、ほんとうに絶望しかないのでしょうか。

わたしたちの知らない戦争の現実は、生活の基盤を根こそぎ破壊し、自由や希望を奪っていくものらしい。けれど、平和な日本に暮らしながら「戦争反対」と歌っても、デモをしても、戦争はなくなりません。では、わたしたちになにができるのでしょうか。

先日、有識者による宗教と政治についての討論番組を見ました。
宗教観が曖昧で、宗教と政治、社会生活が切り離された日本とは大きく違い、例えばインドや中東では信じる宗教の違いによる紛争や血で血を洗う抗争が延々と繰り広げられている地域があります。
しかし、ある国境の村では隣の村と殺し合いが起きる一方、ある村では、そうならない場合があるといいます。どうしてなのか分析すると、あることがわかりました。紛争の起きなかった地域では、村人のあいだで宗教という枠を超えたお祭りやイベントが共有され、隣の村人たちと顔見知りになっていたからだというのです。
たとえ親しくならずとも、イベントを共有し、顔見知りになると、人々は殺し合うことができなくなるらしいのです。

この話をきいてわたしは、音楽の可能性を考えました。フェスやイベントが世界を救う可能性を思いました。日本ができることはなんでしょうか。日本人の作り出す音楽は弱いかもしれませんが、たとえばアニメのイベントなんかはどうだろう。

浅はかな考えがいったりきたりする午後、外では雷が大きく鳴り響いています。それが銃声やミサイルの破壊の音でない平和に暮らすわたしたちは、なんて恵まれているのだろうと思いました。

【2024年7月】《和泉聡志》

梅干しのはなし

梅干しは、梅雨どきに仕込むのだそうです。

「漬け込む梅は梅雨の雨を浴びたものでないといけない」

水上勉著「土を喰らう」によると、梅干しは、手間がかかるし、コツがあったり、難しそうですが、ちょっとやってみようかとアタマの隅に置きつつ、なかなか手が出せないでいます。けれど、誰かがうちに遊びに来たときに、梅壺から自慢のを二、三個ちょっとだして、それで一杯飲む、なんて「いいなあ」と思ったりして、憧れています。

ネットで調べると、手軽に作れる方法なども見ますが、名著「土を喰らう」に感化されて、急に「梅干し」なんていい出したわけですから、そのやり方でやってみたいのです。

ところで、作者の水上勉が、大正時代に漬けられた梅干しが至極美味しかったというエピソードを某雑誌に掲載したところ、そんなわけないと、若い読者から批判の電話がきたといいます。説明しても、作家はフィクションが得意だからといってふふんと切られてしまったそうです。

憤慨した作者がやりとりをさらにコラムに書いたところ、ある大物作家がそれを読んで、雑誌にエッセイを寄せ、自分のところには譲り受けた嘉永3年作と明治41年作の梅干しがある、と擁護の文章を書きました。食してみると、嘉永のものは梅干しとはいえないものだったそうだが、明治のはちゃんと梅干しで、美味だったそうです。遠い時代に仕込んだ梅壺が、抱き抱えられるように大事にされ、100年も生きて現代のひとの舌に乗るなんて、驚くような話です。きっと、泡盛の古酒のように、至極まろやかになって、滋の深い味がすることでしょう。

後日、梅干しをめぐる読者との電話のやりとりを書いたエッセイを読んだ老婦人から、さらに手紙が届いたそうです。先祖の言い伝えによると、越後の寒村に逃れた源義経が漬け込んだという梅干しが、自宅の蔵の奥に保管されているというのです。「肉があっておいしゅうございます。あなたさまにだけにはぜひ食べてみてほしい」
こう書いてあったそうです。

平安時代後期に漬け込んだ梅壺が現存しているとの話は、さすがにロマンティックすぎると思いましたが、わたしのちいさな人生を漬け込んだ梅干しが、50年後のJIROKICHIで、ふと誰かの舌に載って、しょっぱく、ほろ苦く、やがて甘みに変わる味わいを……なんてことがあったら、ちょっといいなと思うのでした。

落語の起源は、江戸時代のはじめだそうです。大名の話し相手を務めた御伽衆に安楽庵策伝という人がいました。彼の著した笑話集に収戴されている話には、「落ち(サゲ)」がついていて、現在も演じられる噺のいくつかの元ネタになっているため、策伝を落語の祖とするようです。

毎年、高円寺で開催される二月の演芸祭りでは、JIROKICHIも会場になり、ステージに高座を組んで、ナマで現代の落語を楽しむことができるのですが、昔から語られる古典、いわゆるスタンダードを知らないし、今ひとつ良さを実感できないというか、楽しみ方を知らない。そこで、これはひとつ、名人の落語でも聴いて勉強してみようかといろいろ調べてみました。

名人・落語などと検索して最初に出てきた動画は「古今亭志ん朝」。志ん朝って名前、聞いたことがあるような……で、さっそく動画を開いてみますと、古いテレビ番組の収録のようで、画像は粗いのですが、でもよく知っている懐かしい顔です。昔、「錦松梅」という高級ふりかけのコマーシャルに出ていた人でした。
演目は「文七元結」。落語には「マクラ」という本筋の話に入る前のイントロ的な小噺があるのですが、志ん朝の話は、まず、そこからグッと引き込まれます。
「文七元結」はいわゆる人情噺で、人情味の中におかし味を持たせなければならなく、話も長いし、登場人物が多いので、噺家さんにとっては難しい演目といわれています。
これをうまく演じることができると、一人前といわれるのだそうです。

噺は、左官の長兵衛という腕のいい職人が博打に狂って、娘が家出してしまうところからはじまります。娘は、借金による家庭崩壊を気に病んで、吉原の女郎屋さんに自ら身売りに行ったのでした。人情深い女郎屋の女将は、長兵衛に、来年の大晦日までに返さなかったら娘は店に出すよ、と脅かしつつ、博打の借金返済のために大金、50両を貸してくれたのでした。
その帰り道、長兵衛は、吾妻橋から身投げしようとしている文七という男に出会います。文七はスリに大事なお金、50両を盗られたといいます。長兵衛は、文七に同情し、娘が体を張ってくれた大切な50両をくれてやってしまい……

噺は、文七の勘違いから人情に次ぐ人情の連続で、最後はハッピーエンドを迎えるのですが、その噺の面白さよりも、瞬時に多くの登場人物を演じ分ける志ん朝の凄さに感銘しました。どの場面もすんなりと感情移入できてしまうのです。そしてなにより、セリフまわし。呼吸、声の質、所作。「文七元結」はけっこう長い噺なのですが、とてもおもしろくて、時間を忘れ、思わず動画に見入ってしまいました。

ジャズに似ている。

そう思いました。
ジャズに限らず素晴らしい演奏や歌も同じだと思いました。
そうかこういうことか。だから落語はなくならないんだ。素晴らしい芸人、演奏家たちはこうして時代を超えて語り継がれていくのですね。

 

【2024年5月】 《W.C.カラス》

ニュースで目にする、保守とかリベラルとか左派、ネオリベという政治思想。その信奉者はそれぞれ、どんな社会を求めているのでしょうか。

保守はいうまでもなく、今の政治形態を守ろうという考えです。

リベラル(自由主義)は簡単に言うと「自由」で「平等」な社会を実現しようという立場です。理想的な思想のような気がしますが、しかし、よく考えると「自由」と「平等」は、矛盾することに気がつきます。

たとえば、能力のある人が「自由」に仕事をしてお金持ちになるとします。けれど能力のない人は貧しくなる。つまり「自由」を制限なく許すと、自己責任の社会、格差社会になってしまいます。
しかし「平等」を重視すると、能力のある人の仕事に規制をかけたり、理由をつけて逮捕したり、税金をたくさん取ったりして一生懸命仕事をする人の「自由」を奪うことになります。

つまり「自由」と「平等」の両方の実現は原理的にできないのです。

したがって、リベラルは、自由主義と言いながら、社会が「平等」(福祉や公共サービスの充実)になるために、ある程度、国家が国民の「自由」を制限しても仕方ないという考え方になります。

左派は、その「自由」の制限をもっと強くし、「平等」をさらに重視する考えになります。なので、防衛費を削減して、もっと福祉や公共サービスを充実させよ、と訴えるわけです。

それに対して、ネオリベラル(新自由主義)は「平等」より「自由」を尊重します。自由競争に勝った人は金持ちになり、敗れた人は貧しくなる格差社会になってしまうリスクがありますが、市場の競争原理が働き、社会にとって不必要なサービス、事業は淘汰され、人々がほんとうに求めるものだけが残って、結果、弱者にも恩恵の行き届く豊かな社会になっていくはずだ、という思想です。
つまり「自由」を守るためなら、ある程度の不平等があっても仕方ない、という考えです。

手作りケーキで説明してみます。

夜、パーティーが開かれる前に集まって、みんなケーキを作ることになったとします。材料を提供する人、焼くのが得意な人、飾りつけが上手な人など、誕生会に出席する人がみんなで協力します。
しかし、不得手でなにもできなかったり、サボって遊んでいる、という人もいます。

リベラルや左派は、こうして完成したケーキを平等に分けることを重要視します。材料を提供した人や頑張ってケーキを焼いた人、やりたくてもできなかった人、サボっていた人にもできるだけ均等に分配しようとします。みんな、もらえるケーキは平等に少なくて、頑張った人はやる気をなくしてしまうかもしれません。

ネオリベラルの考えでは、制作に貢献した人は、ケーキを多く分配されることになります。しかし、できなかった人、サボった人には、ほんの少ししか分配されません。

みんなが楽しめない残念なパーティーになってしまう気がしますが、頑張ると多く分けてもらえるとわかったケーキの製作者たちは、モチベーションが上がり、来年のパーティでは、もっと勉強して、工夫し、より良いケーキを作ろうと考えるかもしれません。すると、ケーキが去年より美味しくて大きくなったので、できなかった人、サボった人にも充分な量の美味しいケーキが分け与えられることになります。

さて、どちらの考えがよいと思いますか。
政治って難しいですね。

 

【2024年4月】 《伊藤多喜雄/坂田明/梅津和時/仙波清彦》

粹(いき)とはなにか。

若いころ、JIROKICHIに出演していたジャズミュージシャンたちを尊敬していました。演奏だけでなく、終演後に見せる所作、立ち居振る舞いなどがとにかくカッコいい。今思えば、ジャズで生活していくのはすごく大変だったであろうに、そんな生活の裏側は一切見せない、おしゃれで「粹」な人たちだったのでした。

ところで、粹(いき)って、どう説明すればいいのでしょうか。
「粹(いき)」の反対は「野暮(やぼ)」です。ダサくて、ケチくさい「野暮」なキャラクターを想像すると、その逆の「粹」がなんとなく分かるような気もしますが、具体的にこういうことだ、と一言で説明できない不思議な概念です。

時代小説など読むと、「江戸っ子は粋でいなせで気風(きっぷ)がよくなきゃならねえ」などというセリフがあったりします。
「いなせ」は、男気があって、心意気が感じられる、その垢抜けた雰囲気、容姿を指します。「気風」は思い切りがよくて、さっぱりしていて、気前がよいなどの様子。とにかく「粹」は、いなせで気風がよい様子であるようです。

九鬼周造という明治大正期の哲学者が残した「いきの構造」という名著があります。九鬼は、欧米で学んだ西洋哲学の手法を用いて、日本固有の美意識である「粹(いき)」を分析しました。

九鬼によると「粹(いき)」は、媚態、意気地、諦め、の三つの要素で構成されているといいます。

「媚態」は、遊女や芸者たちが男性客を魅了するあの艶かしい所作です。誘うような仕草、色っぽさで、恋の駆け引きをするわけですが、客とは常に一定の距離を保ち、つかず離れずのスリルのある関係を継続させます。

「意気地」は、痩せ我慢をして男気を貫いたり、カッコをつけたりする寅さん的なアレです。

「諦め」は、たとえば遊女や芸妓が客に本気で惚れてしまって、でも、相手は妻子持ち、社会的地位もあり、到底結婚なんてすることはできない。そんなとき、未練がましく男を追いかけてはいけない。執着してはいけない。つまり、一般の人とは同じような幸せを求めてはいけない。運命を受け入れろ、ということです。

江戸っ子の男は、宵越しの金を持たない、とか、蕎麦はこうやって食うんだ、とか、熱い風呂に我慢して入るとか、とにかく痩せ我慢をしてカッコをつける。遊女や芸妓は、すごくお金持ちの上客だとしても野暮なヤツは「二度とごめんだよ」などと言って追い出してしまう。

その心意気、立居振る舞いをスマートにやってのけることが、どうやら「粹」ってことのようです。「運命によって諦めを受け入れた媚態が意気地によって自由に生き抜くのが粋(いき)ということである」九鬼は名著「いきの構造」をこのように締め括っています。

ミュージシャンたちの生き様も同じですね。そんなに痩せ我慢をしなくてもいいと思いますが、ミュージシャンは「粹」で、スマートでカッコいい存在であって欲しいと思ったりします。

そういえば昔、間の悪いヤジを飛ばしたりする野暮なお客さんがいると、チケット代を返すから帰れ、なんてステージから怒鳴って追い出してしまう人がいましたっけ。

 

【2024年3月】 《the Tiger》

ソクラテスという人をご存知でしょうか。

イエス・キリストが生まれる500年くらい前の古代ギリシャで活躍した哲学者です。

ソクラテスは、著作を一冊も残していないので、実在を疑う人もいますが、弟子のプラトンという哲学者が、ソクラテスのことを詳しく書いていて、また、当時の、ソクラテスの行状について書かれた文章がいくつか存在していることから、おそらく実在したと思われます。

プラトンの「ソクラテスの弁明」という裁判記録によると、ソクラテスは、若者を堕落させたとして告訴され、死刑になっています。しかし、その哲学は、西洋哲学の祖として、今日でも深く私たちの心に訴えかけます。「無知の知」(正確には不知の自覚)という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。簡単にいうと「僕らは何も解っていないし何も知らない。まずはそれを認めて、お互いの主張のまずい点を批判しあって、いい議論をしよう、何も知らないということを自覚して日々学んで行こう」ということです。

人は、歳を重ね、経験を積むと、世の中のことがすっかりわかったような気になって、つい若い人に説教してしまったり、偉そうに知識をひけらかしてしまったりするものです。それで、そのうち「ソフト老害」などと陰口を叩かれるようになったりします。

若い人たちや、経験の浅い人たちよりも仕事上、明らかに解っていること、知っていることがたくさんあるでしょうし、解らないくせに訊きにも来ない新人さんなどにイライラさせられることもあるでしょう。

けれど、そんなときこそ、ソクラテスの言葉を思い出して、むしろ若い人たちに自分の知らないことを教えてもらうような謙虚な気持ちが必要なのかもしれません。若い人は、あなたの「言葉」ではなく、そういう「姿勢」からきっと何かを学んでくれることでしょう。

 

【2024年2月】 《小野アイカ》

子育ては大変です。

私はとっくに卒業していますが、振り返ると、よくやっていたなと思います。

JIROKICHIは昔、ミュージャンや常連たちと盛り上がり、遅くまで営業することがよくあって、朝の5時に酔って帰宅するなんてことが日常でした。しかし、まだよちよち歩きの子どもを朝の散歩に連れて行かなくてはならず、8:30に強制的に起こされ、ベビーカーを駆る毎日でした。まだ酔いも醒めていないし、それはもう眠くて眠くて、公園のベンチにべったりと寄りかかって、うつろな目で子どもが遊ぶのを見守っていた記憶があります。

ある日、朝の散歩から帰って、ついウトウトしてしまい、ハッと目覚めると、テーブルにあったはずの離乳食を与えたお皿が見当たりません。訝しがっていると、四つに割れてしまったお皿がゴミ箱に捨ててあるのを発見しました。まだ歩きはじめたばかりの幼児は、たぶん一人遊びをしていて、ふと床に落として割ってしまったのでしょう。しかし、怒られると思ったのか、それを綺麗に片付け、きちんとゴミ箱に捨てていたのでした。すごくびっくりしたので、いまだによく覚えています。

ところで、教育熱心なお父さんお母さんたちは、子どもをいい学校に入れようと頑張っているという話をよく聞きます。いい大学に入れて、いい会社に入るのと入らないのでは、生涯年収が大きく変わってきますから、当然のことでしょう。

しかし、近年研究が急速に進んでいる学問のうち、遺伝の特質を研究している「行動遺伝学」という学問が、子どもに対する英才教育的なことがほとんど効果がないことを明らかにしてしまいました。
子どもが将来、成功するかどうかは、生まれた場所とか、家庭外の環境など、複雑な要因が絡み合っているのだけれど、結局は遺伝的要素が強く働く傾向がかなり強いようなのです。

兄と弟が幼いときに別れ、まったく違う環境で育ったらどうなるか、という同じ遺伝子を持つ一卵性双生児を対象にしたこの研究は衝撃です。例えば、片方は英才教育を受け、片方は普通の教育を受けましたが、彼らの生涯年収にほとんど差がなかったという事例がほとんどだったのです。

教育者はうすうす気がついていたでしょうが、知能の遺伝についてはタブーとされていて、つまり、カエルの子はカエル。社会は、このことを見て見ぬふりをして、私たちは理想主義的な教育システムの中で勉強をさせられてきました。

けれど、カエルが悪いわけでも劣っているわけでもありません。ニンゲンという種が生存し続けるためには、いろいろな能力、多様性をもつ人がいないと、地球の環境の激変などがあった場合、簡単に滅亡してしまうからです。カエルのように水に潜れるとか、ジャンプ力がすごいとか、勉強だけできるのではなく、身体的な特性があることが有利になる場合があるわけです。

現代は、シリコンバレーで働くような理数系の天才たちが大金持ちになる世の中です。けれど、ある日、気候変動なとで環境が激変すれば、数学的才能など役に立たない世界がやってこないとも限りません。

何が言いたいかというと、子どもに過度な期待をして、無理やり習い事をさせたり勉強させたりしても、ほとんど無駄だ、ということです。

 

【2024年1月】 《藤野美由紀》

新年あけましておめでとうございます。
JIROKICHIは、2024年で、創業49年目を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いします。

暖冬といっても、やはり寒いわけですが、最近、カラダ(内臓)を温めてくれるというある食材にハマっています。

それは、「ヒハツ」という胡椒に似たスパイスで、使うと、確かにお腹の中がポカポカしてきます。シナモン、ジンジャー、鷹の爪など他のスパイスとは全然違う。胡椒のように普通に料理に使えるし、お茶に入れてスパイス・ティーのようにして飲んでもよいので、意外と日常的に簡単に摂取できます。

愛媛大学のある研究者が2009年から2011年にかけて実施した研究によると、ヒハツには、冠状動脈の血管を拡張する作用や、血流増加作用、発汗作用、新陳代謝の促進作用などがあるそうです。美容の天敵、むくみに対しても改善効果があることがわかっています。

ところで、歳を取ると、一年があっというまに過ぎてしまいますよね。最近の研究では、時間の流れは、代謝が関係していると言われています。代謝が落ちると時間が早く流れるように感じ、代謝が上がると時間を遅く感じるのだそうです。

話が逸れますが、現在のような分刻み、秒刻みの生活になったのは、わりと最近で、大昔はみんな時計など持っていなくて、陽が落ちたから帰ろうとか、お寺の鐘が鳴ったからとか、そういう生活でした。ところが、いまは、仕事や勉強に追われ、多くの人が分刻みのスケジュールをこなしています。動画なども長いものは敬遠され、映画も倍速で観たりする時代です。

しかし、分刻み、秒刻みの正確さを求めるのは、あまり人間的、生物的ではないのだそうです。ストレスを感じている人も多いかもしれません。こういう近年の傾向も時間の流れの加速に関係しているかもしれません。ヒトは、味覚や触覚のように、時間を読み取る器官を持っていません。ですから、みんな時間の感じ方が違うのです。

話を戻すと、ヒハツは、とにかく代謝をよくしてくれる魔法のスパイスです。これ以上時間が早く流れないように、そして、いつまでも楽しくお酒を飲みたい派の私としては、カラダを温めてくれる非常にありがたい食材を発見しました……ということで、皆様も一度、試してみてはいかがでしょうか。

 

【2023年12月】 《blues.the-butcher-590213》

台湾に行ってきました。

ほんとうは3年前、45周年記念イベントの打ち上げとして行く予定だった社員旅行なのですが、イベントの終盤にパンデミックに見舞われ、中止となっていました。大変な時期を経て、未だに厳しい状況なのですが、パスポートの期限の問題もあるし、ちょうど台湾で行われる周遊フェス(JIROKICHI主催で今後企画するかも)を勉強しようということになり、思い切って行くことになりました。

台湾は、大きく分けて、台北、台中、台南、台東と分けられ、多くの人は、一番都会で観光スポットも多い台北に行くのですが、周遊フェスの開催地ということで、私たちは主に台南で過ごすことになりました。

台南は、フィリピンに近く、11月というのに温暖で、大都会の台北と違い、街並みは素朴で、古い建物が多く残り、珍しい果物が豊富だったり、牡蠣やミルクフィッシュなど海産物を使った料理が驚くほど美味しいところです。

活気のある市場や美味しそうな露店のある飲食街、そして道路はバイク、バイク、バイクが二人乗り、ときには三人、四人乗りのスクータが歩道まで走ったりしていますが、とにかく路地を適当に歩くだけで、右も左もわくわくする景ばかり広がっています。

周遊フェスは、台南の中心部にある大きなホールや映画館、展示場、小さなクラブなどで同時に開催されていて、タイムテーブルに沿って自由に巡ることができるイベントです。目当ての会場から別の会場に移動する間に、ふらっと店に入って台湾スイーツを楽しんだり、カフェで一息ついたり、台南の街を楽しみながら一日中ライブを満喫できます。

高円寺でもこんな感じでイベントができたら楽しそうだな、と思いつつ、たくさん歩き、今夜は何を食べようかなどとわいわいやりながら、楽しい時間を過ごしました。

感動したのは、台湾の人たちの親切さです。タクシーが捕まらず戸惑っていると、通りすがりの若い人がスマフォを使って呼んでくれたり、空港でまごまごしていると、乗るべき特急などを懇切丁寧に教えてくれたり、まるで困っている人を探して歩いているかのような人たちなのでした。

最近では、JIROKICHIにも、毎日のように海外からお客さんがいらっしゃいます。わからないことがあって困惑している旅行者がいたら、同じように親切にしてあげたいと思うのでした。

 

【2023年11月】 《竹田和夫》

読書の秋

目が悪くなったり、なかなか疲れが取れなかったり、読書量のずいぶん減った最近では、おもわず柵を飛び越えていって誰かに伝えたくなるような一文にも出会わなくなってしまいました。

その一文は、それだけ読んで聞かせても伝わらない魔法の言葉で、その一文に辿り着くまでに、いくつかの物語を背景に散りばめておく必要があるのでした。リズムも大切です。文章のリズムは音楽に似ていて、体に合うと、その一文はますます輝き、衝撃に似た感動を与えてくれるのです。

繰り返し読んだ小説を、ふと読み返してみると、また、違った印象を与えてくれることがあります。行間に隠れていた背景が急に飛び出してきたり、熟語や、引用されているセリフに深い意味があったことを知って思わず唸ってしまったり、ある古典小説のストーリーが下敷きになっていて、その小説を知ったために深みが増したりと、名作と呼ばれる小説は、音楽と同じように、わたしたちに繰り返し繰り返し感動を与えてくれます。

金子光春は破天荒な生活や、無鉄砲な旅をしたことで知られる大正~昭和の詩人です。彼の自伝「どくろ杯」は、極上のジャスのスウィングのように、心に何度も染み込ませたくなる小説です。

その最初の方に、のちの妻になる女子大生、森三千代との恋愛がはじまる場面が描かれています。

いろいろあって、金子の住処に一人で来た三千代に、金子が、「君が承知してくれないなら人生の活路が見出せない」などと言って、のちに刊行される彼の詩集の草稿を破ってしまおうとする場面があります。慌てた三千代が、「やめてください」と金子の手首を掴んで止めにかかるのですが、そのとき「その一文」は書かれるのです。

「唇で触れる唇ほど柔らかいものはない」

二人の恋愛が始まる瞬間は、この一言のみで描写され、私は電車の中でたった一人、時間が止まったような感動に浸るのでした。

 

【2023年10月】 《やもとなおこ》

縁は異なもの味なもの。

そういうけれど、30年以上住み、高円寺という街の性格がよくわかるようになると、刺激も少なく、新たな出会いを煩わしく思ってしまうようになってしまいました。

バンドを結成し、ライブを生活の中心に置いて暮らしていたころは、人との繋がりが家系図のように広がって、孤独とは無縁の日々を送っていたような気がするけれど、やめてしまうと、わたしには音楽以外に親しく付き合う人間がほとんど見当たらないことに気がつき、最近では、大騒ぎとは無縁な、孤独な時間を心地よく暮らしていたのでした。

そんなある日、高円寺の某ロック・バーのマスターから顔を出せとLINEが来ました。マスターは、1980年代後半から90年代にかけて華やいだメジャーなロックバンドのうち、BUCK-TICKなどと並んで、今も一線で現役を続けるG.D.フリッカーズというバンドのボーカリストです。

古いブラックミュージックが好きであるジロキチのわたしとは、縁の薄いはずの人でしたが、20年近く前、わたしの作ったバンドが騒音のことで任侠の人とトラブルになった際、助けてもらったことが縁で親しくしていただいている人です。驚くようなエピソードに事欠かない稀有な方で、わたしに、日本のロックの歴史を教えてくれた先生でもあります。

マスターは、スツールに腰をかけるなり冷んやりとした紙包を手渡してきます。
「えっ?」
街の肉屋さんの懐かしい包装です。誕生日おめでとう、といってマスターは、わたしに高級そうな厚いサーロインの生肉をプレゼントしてくれたのでした。たしかに誕生日だけれど、どうしてコレ?……面食らった顔のままグラスに口をつけると、マスターは、実はさあ……と、徐に切り出してきたのです。

「あのバンドに今年も出演してほしいんだけど」

あのバンドとは、昨年秋、新宿ロフトで行われたG.D.フリッカーズ主催のイベントに出演するために結成された、高円寺の即席バンドのことです。

ボーカルは、日本で一番の豚骨ラーメン店の店主、ベースは九州系焼鳥屋の名物店長、パーカッションは、元有名イタリアンのシェフで北見焼肉店店主、ドラムは、キムタク主演のドラマなどで活躍する若手俳優、ギターは、元テレビ東京のプロデューサ、そしてわたしというメンバーで、わたし以外はほとんどバンド未経験という凄いバンドです。

つまり、ステーキ肉のプレゼントは、今年もイベントをやるので、バンドをまた復活してくれ、という相談のための策だったわけです。確かに、このメンツは、高円寺の夜の界隈では、顔の知られている人たちで、それこそ家系図のような人脈を持つ勢いのある男たちです。

昨年は、新宿に、高円寺の人たちがたくさん来て、妙に勢いだけはある我々の演奏に盛り上がったのでした。今年も出演するとなれば、きっとイベントの成功の一助になることでしょう。

けれど、唯一のバンド経験者であるわたしの役割は重要で、各メンバーも忙しく、準備は大変です。そういうことだったかと腑に落ちたわたしは、しかし、まんまとステーキに籠絡されて、あっさり承知してしまったのでした。

他のメンバーも乗り気になって、さっそくスタジオに……いや、まずバーベキューです。大きな画面でYouTubeのライブ映像を見て盛り上がり、一年ぶりのバンド再始動にテンションも上がってきます。

ラーメンを作るのと同じで、汗をかき、気合を入れ、だけど楽しみながら一生懸命やる。

彼らはそこいらのバンドより余程ロックをわかっているようです。彼らの生き生きとした様子を見ていると、なんだか今年もうまくいくような気がしてきます。イベント出演のために作られたこの不思議な縁は、世代を超えて、こうして再びなにか得体の知れない磁力を持つことになりました。

秋も深まって、わたしはまた、人と人と繋がりの中に生きようとしています。

 

【2023年9月】 《Soul Shine》

悪夢を見ます。

起きると忘れてしまうので、具体的な内容は伝えられないのですが、とにかくひどい夢ばかりを見ます。

種類はいろいろで、幽霊的なものに恐怖させられるものから、仕事的に追い込まれたり、落ちそうになるとか、とにかく嫌な夢ばかり見るのです。

最近、快眠を謳った文句に誘惑されて、枕を買い替えたのですが、もしや、その新しい枕が悪いのかと思って、元々使っていたものを出して寝てみることにしました。

すると悪夢を見ません。

けれど、翌日、新しいほうの枕に戻して寝てみると、やっぱりひどい悪夢にうなされます。

試しに、座椅子の腰当て用に買ったテンピュールの小さい枕で寝てみると、これは快適に眠れます。やっぱり買い替えた新しい枕は「悪夢の枕」だったのでしょうか。

けれど、枕のせいで悪夢を見るなど、きいたことがありません。きっとたまたまだったに違いありません。

再び「悪夢の枕」を使って寝てみることにしました。

パーマの伸びた髪にハンチング的な帽子を被ったベテランロックシンガー的な人が、なぜか、私のうちのキッチンでライブをしている夢です。ガラガラの声でエレキギターをかき鳴らし、魂を込めて歌っています。

しかし、キッチンは、共用廊下に面していて、しかも夜中なので、きっと同じ階の住人が騒音に怒って抗議に来ることでしょう。

焦ってどうしたらいいか困った私は、さあこれからサビに向かって盛り上がる…… あたりで、さっと彼の目の前に立ち、やめろというゼスチャーで演奏を止めてしまいました。
そのときの、彼の、えっ? という顔にイラッとしつつ、せっかくノって歌っている途中で止めてしまった罪悪感に戸惑う……というところで目が覚めました。
なんて嫌な夢なんだ。

悪夢は、ストレスや、精神的に追い込まれているとき、薬の副作用、睡眠時にきいている音に反応して見るなど、様々な要因があるそうです。

ところで、悪夢に限らず夢は、どうして整合性のない事象ばかりなのかというと、普段、頭脳に、具体的に景を浮かべてシュミレートしている事柄が、眠ると前頭葉が休んで、様々な景を統括してうまく物語化している機能が働かないからだそうです。

ちなみに夢は単なる脳の機能におけるノイズで、何の意味もないそうです。

余談ですが、枕を替えたせいで悪夢を見るなんてことがほんとうにあるのかと、ネットで検索をかけてみたところ、「悪夢枕」なるものが現在開発されていると知りました。
寝ると、必ず悪夢を見れるという商品で、一万円くらいで販売を予定しているそうです。
悪夢を見ることによって、日常の恐怖や不安に耐性を持たせるという心療的な枕らしいのですが、一体、そんなもの誰が買うのでしょうか。

 

【2023年8月】 《山本一》

胃をこわしました。
一晩中、一睡もできずに苦悶するなんてこと、人生で初めての経験です。薬なんか少しも効かず、痛みが数日続いたわけです。拷問。

苦悶のはじまりの日は、それこそ七転八倒、これは大きな病気かと心配して、朝イチで病院に行ったわけです。医者は、メガネをずらし、ベッドで顔を歪める私を見下ろし、「あーアニサキスかなぁ」と、感情低く、つぶやくようにいいます。
そうです。確かに私は夕べ、カツオの刺身を食べたのでした。

アニサキスとは、サバやカツオ、イカなどの内臓にいる寄生虫です。
捕獲されて魚が死ぬと、腐敗の始まった内臓に居られなくなって、筋肉部位の方に逃げる。それで、たまに、鮮魚の刺身などに生き残っているわけです。それを私たちが食べてしまい、胃の中に落ちると、アニサキスはたまらなくなって再び逃げようとします。それで胃袋に噛み付いて、アレルギー反応が起きる……というわけです。

ちなみにアニサキスは、酢でしめてもダメで、一回冷凍、もしくは火を通すのが最大の予防策です。しかし、視認できる大きさなので、切り分けるときだいたい発見できます。ですので、薄切りにするとか、良く噛んで食べたりすれば問題ありません。
私は薄切りにして、カルパッチョにして食べたのに、よほど運が悪かったようです。

で、カメラを鼻から入れて、内視鏡検査をやったのですが、アニサキスの姿は映りません。発見したら、つまみとって吸い取ってしまえば痛みはピタリとなくなってしまうとのことでしたが、胃の中を隈なく見ても、どこにも見当たらないのです。

原因ははっきりとはわからない、とにかく薬を飲んで治すしかないと医者はいいます。
それから数日、消化に良い物ばかりを食べ、酒も飲まず、おとなしく暮らしていたのですが、四日後の深夜に痛み再発。
それはそれはもう、点滅のような激痛で、それこそ深夜から朝までまったく眠れず、朝イチで再び病院に。アニサキスは二、三日で死んでしまうそうなので、これはもう絶対違うと思うし、処方してもらった薬も効かない。藁をも掴む思いで、助けを求めたのでした。

「おや……」私の腹部を再び触診した医者は、今度は胃腸がぜんぜん動いてない、というのです。
わたしは痛みを和らげようと自発的に嘔吐を繰り返したせいか、軽い熱中症になっていたのか、脱水症状を起こしていました。

点滴のため、半日入院。ご飯が食べれないなら二、三日入院だと言われ、さすがにそれはまずいと、プリンとか、ヨーグルトとか、無理矢理食べてなんとか持ち直しました。その間、スタッフや連絡が滞ったミュージシャンの方々にとても迷惑をかけてしまいました。
で、ようやく今、痛みも和らいで、こうして店長のつぶやきを書いているというわけです。みなさん、脱水症状には気をつけましょう。あと、生で魚を食うときはよく噛んで食べましょう。

【2023年7月】 《アカネ&トントンマクート》

マジ泣きました。

数日かけて全話一気見してしまいました。
10数年前に話題になったNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」です。

「ゲゲゲの女房」は「ゲゲゲの鬼太郎」の原作者、水木しげるの奥さんが書いたエッセイです。
ドラマは、そのエッセイを原案にした物語です。
何がすごいって、まず水木しげるという人の生き様です。
天才ですから変わり者だし、とにかく漫画バカなわけです。そして強烈な戦争体験を持っている。40歳になってもひたすら売れない漫画を描いて食うや食わずの生活をしています。

ゲゲゲの女房=奥さんは、豊かな田舎でのんびり育った人なのですが、よくわからない漫画家だという片腕の男と突然お見合いすることになり、五日後にもう結婚式。早すぎる展開に戸惑いながら、水木に連れられて翌日にはもう上京することになります。

そんな二人の新婚生活がとにかく凄まじい。

まず、東京での生活はどんなものかと不安と期待を胸に到着した水木しげるの自宅は、信じられないボロ屋。
結婚生活を始めてみると、お見合いの際に仲人から聞いていた話とずいぶん違うことが次第に分かってきます。
生活の糧である漫画は、一本描けば当時の大卒新任の給料の3倍の収入があると聞かされていたのに、実際は、出版社に原稿料を払ってもらえないなど、収入は途絶えがち、家計は非常にヤバい状況だったわけです。目ぼしいものは質屋に入り、電気は止められる、米櫃はすぐに底が見える。その貧乏具合は、年収の申告額が極度に低すぎて、税務署から怪しまれるほどでした。

けれど、実家には心配かけられないし、もう戻れない。新婚夫婦の船出はどん底の貧乏暮らしに沈んで行く一方でした。

ところが、ある日、懸命に漫画を描く水木しげるの背中を見た奥さんは、その本気度、鬼気迫る様子に圧倒されます。とにかく凄まじい。漫画がほんとうに好きで、その好きなことに全力で打ち込み、全霊を込めて仕事をしているホンモノの男。
奥さんは、その背中を見て思わず涙を流します。感動し、次第に尊敬の念を抱くようになっていきます。
ときには、漫画を手伝ったり、代わりに出版社に原稿料の交渉をしに行ったりしながら、奥さんは、極貧の中でも、なんとなく充実を感じて暮らしていたのでした。

ところが、そんな暮らしに、子どもができてしまいます。
子どもを飢え死にさせるわけにはいかない。水木一家は、いよいよもうダメか……と視聴者をハラハラさせます。

そんなころ、講談社「少年マガジン」の編集者が、水木しげるの漫画に注目していたのでした。命をかけて描いたその作品の情熱が伝わっていたのか、当時発行部数で一二を争っていたメジャー誌に、彼の作品を掲載したいと考えていたのです。当時の水木しげる夫妻にはまったく想像もつかなかったことでした。

とうとう日の目を見て短編作品「テレビくん」で遅咲きのメジャーデビューを果たした水木しげるは、講談社児童漫画賞を受賞、一躍認められ、大手出版社からは注文が殺到するようになります。そして「悪魔くん」「墓場の鬼太郎」など、次々とヒット作を生みだし、テレビ化、映画化を経て鬼太郎は日本中に妖怪ブームを起こすほどになります。原稿料は十倍。貧乏生活がまさかの大転回をするのです。

「お父ちゃんはホンモノだ、ホンモノの漫画家だ」

そう信じて、貧乏を乗り切った「ゲゲゲの女房」の奇跡に、私は一人、テレビの前で涙を流したのでした。

【2023年6月】 《Minako”mooki”Obata》

ずいぶん前に亡くなったミュージャンたちのことを、最近、ふと、思い出します。彼らに年齢が近づいてきたせいかもしれません。

古澤良治郎さんはジャズ・ドラマーで、モダン・ジャズからフリー・ジャズ、フュージョン、そして、ジャンルの枠を超え、フォークやロックのミュージシャンたちとも数多く共演したほか、作曲も行い、演劇や映画などにも音楽を提供、2011年に亡くなった私の大好きなミュージャンの一人です。

古澤さんは、演奏以外の日にも、深夜のJIROKICHIに頻繁に現れ、機嫌よく飲んだり、機嫌が悪かったり、その日出演したミュージャンたちとセッションしたり、誰かに絡んだり、古澤さんを慕う若いミュージシャンたちに説教したりしていました。
そんな若いミュージシャンたちを集めた「パパラッコバンド」や「ね」で、毎年、バースデーライブをやっていたことを懐かしく思います。
彼の残したアルバムは私にとって永遠の名盤であり、多くのドラマーに影響を与え、心に響く名曲をたくさん残し、ドラマーという枠を超えたアーティストだったのでした。

若かった私の目に憶えている古澤さんは、リハーサルが終わると、焼酎をロックでどんどん飲み、本番が始まるころにはすっかり出来上がっていて、リハーサルのときの安定した演奏がどこかに行ってしまう。一体、演奏しに来ているのか、酔っ払いに来ているのか、よくわからない感じで、でもジャッキー・チェーンの酔拳の如く、酔えば酔うほどじゃないですが、ときどき魅せる鋭いビートや、絶妙なスウィングが素敵で、何よりも存在感、華のあるドラマーであり、唯一無二、現在では、まったくいないタイプのミュージャンと言っていいでしょう。

古澤さんは本番が終わると、さらにどんどん焼酎をやって、終電の頃にはもうベロベロ、もはや一人では歩けないと行った有様で、弟子の方々や、関係者が肩を支え、JIROKICHIの階段を這い登るように帰って行くことが常でした。一体、あんな工合で電車に乗って一人で帰れるのだろうかと、いつも心配したものです。

ある日、いつものようにしこたま焼酎を飲んで、「じゃあ帰るから」と、常連やミュージャンたちと握手しながら、悠に30分くらいかけて店内を巡り、最後に私たちスタッフに声をかけ、フラフラしながら危なっかしく階段を上って行くのを見届けたときです。その日、たまたま誰も肩を貸す人がおらず、一人で歩けないのでは……と心配になった私は、せめて、駅まで送って行こうと思い、階段を駆け上り、JIROKICHIの扉を開け、古澤さんの後ろ姿を追いました。

「アレ?」

姿がありません。
今出たところなので、まだ店の前にいると思っていたのに、どこに消えたのかと訝しがりながら私は、駅前通りの歩道に出、駅の方へ向かう道筋を見ました。
すると、もうずいぶん向こうに、スタスタと軽快な足取りで駅に向かうの古澤さんの背中が見えたのです。
驚きました。
私は、あの日、とうとう古澤さんの真実を知りました。JIROKICHIから帰る際の毎度、一人で歩けないほど酔っているように見えたあの様子は、すべて演技だったのです。

古澤さんは、きっと、すごく寂しがりやだったのかもしれませんね。

 

【2023年5月】 《是巨人》

ポピュラー音楽は衰退していく。
生演奏の価値はこの先、どんどん薄くなっていく。

ふと、そんな考えに捉われました。もはや新しい音楽は生まれそうもない。娯楽が限られていた時代と違い、音楽以外にも楽しそうなコンテツがたくさんありますし、音楽が好きな人の嗜好性も多様化し、同じヒット曲を国民みんなで共有するなんてこともほとんどない。コロナ禍では、生演奏の音楽は不要不急とされ、私たちは数ヶ月を閉ざされしまいました。今でも、一部では、生きていく上でほんとうに必要なものは衣食住で、音楽は二の次と思われているかもしれません。

ところが、ふと読んだある脳科学者の本に、興味深い論考がありました。

私は30年以上JIROKICHIにいて、素晴らしい演奏を聴いてお客さんや演奏者自身が幸せになるという瞬間をたくさん見てきました。時には、自分も元気をもらったり、楽しい気分になったりもしました。

音楽は人を幸せにする。
音楽が感情と関係があることは、大昔から知られていましたが、なぜそうなるのかは、脳科学的には謎だったらしいのです。しかし、2020年、カナダの心理学者が、音楽は、脳内麻薬であるオピオイドの分泌に影響を及ぼすことを明らかにしました。薬物依存者の治療に使われるオピオイドの拮抗薬を使い、脳内麻薬の分泌を止めて被験者に音楽を聴かせる実験をしたのだそうです。すると、脳内麻薬の分泌を止められた被験者は、音楽を聴いてもその楽しみを得られなくなってしまったのだそうです。

脳から分泌されるオピオイドは、鎮静作用と抑うつ効果をもつ脳内麻薬なのだそうです。さらにドーパミンの分泌を促進し、幸福感をもたらす。
つまり音楽は、不要不急なものでも暇つぶしでもない、副作用の無い最高の薬だったのです。

実は、サブスクを利用したりして音楽を視聴する人の数は以前より増えているというデータがあるそうです。だけど、最近の音楽は、ちょっと……昔の音楽の方が豊かで心からこもっていたんじゃないか……などとつい、年寄りのような考えに捉われることもありますが、とにかく私はポピュラー音楽は衰退などしない……と考えをあらためました。そして、生演奏を間近で聴いて肌で感じる快感はある人たちにとっては強力な麻薬なんだと。

しかし、ということは、私の仕事は麻薬の売人か……。ずいぶん業の深い職業を選んでしまったものです。けれど、副作用のない最高の薬を扱う売人ですので、どうかお許しください。

 

【2023年4月】 《Enzo Favata The Crossing》

WBC 盛り上がりましたね。
王さん長島さん以来の国民的スターと言われる大谷選手の活躍などで日本中が沸きました。

ところでどうしてそんなに大谷選手はすごいと騒がれるのでしょうか。

少年時代、一応、地方の強豪チームで野球をやっていた私からすると、プロ野球選手になる人というのはみんなスーパーマンです。プロでなくても、高校に進んで甲子園を目指す人だって、私からすればものすごい才能をもつ選手です。

しかし、いくら才能があっても、高校の強豪チームに入ると、中学時代にエースで4番だった人ばかり集まっているわけで、競争に晒され、レギュラーどころか背番号をもらうことだって難しいわけです。

小学生の頃から体が大きく、豪速球を投げ、エースで4番だったうちのチームの高橋くんでさえ、高校野球での活躍はいまいち、推薦で大学まで一応進んだけれど、最後の大会でようやくちょっと試合に出れた……という感じなのです。

ですから、プロ野球に入って、一軍に上がってレギュラーを取るなんて人は、もう野球の神様なのです。さらに大活躍してホームラン王になるような人は、もう、漫画の主人公レベルなわけです。
そして……さらにさらに、本番アメリカに渡ってメジャーリーガーなるなど、漫画のストーリーの中の、その夢のまた夢って感じで、もう理解を超えてしまいます。

ところが、大谷選手という人は、その理解を超える夢のメジャーリーグの世界で、頂点に立つスーパースターなのです。

通常は、プロ野球に入団したら、アマチュア時代にエースで4番、打っても投げても走っても最高だったという人でも、自分の才能の一番良いものを出して頑張らなければ活躍することは難しいわけです。ですから、普通、ピッチャーはあきらめて、野手になるとか、ホームランバッターになるのはあきらめてピッチャー専門になるとか、そういう選択をして必死で努力するのです。そうして懸命に頑張っても、活躍できず数年で引退する人がほとんど……という厳しい世界なわけです。

そんな厳しい日本プロ野球の世界を軽々と飛び超え、世界最高の選手たちが集まるメジャーリーグで、大谷選手は、ピッチャーとしてもバッターとしても大活躍し、超一流選手として認められただけでなく、前人未到の記録まで打ち立てました。
しかも大谷ルールといって、メジャーリーグのルールまで変えてしまったのですから、もう、すでにメジャーの歴史に残る偉人といっていいでしょう。

こんな人が現れるなど想像もできませんでした。

とにかく、沈みがちな日本に感動を与えてくれる奇跡のスーパースター、それが大谷選手なのです。

 

【2023年3月】 《星ノ飛ブ夜》
世界的なインフレ。
イギリスなどヨーロッパ諸国は信じられない物価高に苦しんでいます。特に光熱費は五倍から六倍に跳ね上がっていて、暖房を使えない人たちがたくさんいるそうです。日本も、まだそれほどではありませんが確実に物価が上がっていて、4月以降、また様々なモノの値上げが報道されています。

ところで、このインフレーションはなぜ起きているのでしょうか。

ウクライナ戦争も一因ですが、主因はパンデミックです。では、なぜパンデミックが物価高を引き起こしたのでしょうか。

インフレーションとは、世の中に出回っているお金の価値が下がることです。つまり、それに対して、モノ(商品)の価値が上がることです。お金の価値が下がるとは、どういうことかというと、今回のインフレで言えば、コロナ対策で政府が権限を使い、どんどんお金を印刷して企業や病院などの法人、インフラ、そして国民たちに配ったため、世の中にたくさんお金が出回っているということです。

わかりやすくいうと、例えば、300枚しか発売されなかったある人気アーティストの「幻のレコード」が、ヤフオクで高く取引されていたとします。ところが、まったく同じものが再発されることになり、10,000枚が新たに出回りました。するとヤフオクでの取引価格は大幅に下落します。つまり「幻のレコード」の価値が薄まってしまったわけです。

その「幻のレコード」を持っていれば、たとえば楽器などと交換もできたのに、価値が低くなったため、その楽器のケースとさえ交換不能になりました。つまりお金の価値が下がり、スーパーで1,000円出してもパックの卵が買えないのと同じことが起きたわけです。

コロナ禍、人々が家から出ない時期がありました。そんな中、普段サービス業、たとえばレストランとか食堂、居酒屋などを頻繁に利用していた人たちは家にこもって急に自炊を始めたりして、今まで限定的にしか買われなかったモノの需要が急に高まりました。それで一部、その原材料などの不足が世界的に起こり、需給バランスが崩れ、連鎖的なモノ不足に陥り、さっきのヤフオクの話しの逆で、モノの希少価値高まって値段が上がった……というわけです。

それでは、どうすればインフレは抑えられるのでしょうか。

世の中に出回っているお金を、政府や中央銀行(日銀)が回収すれば良いわけです。例えば、税金を上げるとか、企業が銀行にお金を預けておくメリットを上げるために中央銀行が利上げを行うなどです。利上げをすると企業は銀行からお金を借りにくくなります。(利子が高いから)すると、企業は、新しい事業への投資をやりにくくなります。つまり世の中にお金が出回らなくなるわけです。しかし、回収をやりすぎるとインフレの逆のデフレーションが起こります。企業が投資しないので「仕事」が作られず、失業者が増えたり、給料が上がらなくなったりして、いわゆる景気が悪くなるわけです。

一緒に見てきたこの仕組みから分かるように、平成時代の30年間、日本は物価安のデフレに陥って苦しみました。物価が安いということは、企業の利益が低いということです。じゃあ、もっと政府が、減税したり、お金をたくさんバラ撒いていたら良かったのに……と思われるかもしれません。けれど、それで物価が上がったとしても、給料が同時に上がらないとダメなわけです。みんなただ貧乏になるだけです。企業は、従業員が一生懸命働いたり、アイデアを捻り出して新しい価値を生み出したりしなければ持続的に利益をあげられませんから、当然給料を上げられません。努力や工夫を怠り、お客さんや共演者に何も感動を与えないアーティスト、ミュージシャンがお金を稼げないのと同じ理屈です。わたしたちは、政府や政党の無策をSNSで無責任に非難する前に、このことを一度考えてみるべきかも知れません。

 

【2023年2月】 《三好“3吉”功郎》
音楽を好きになったのはいつなのだろうか。

そんなことをふと考えました。
思えば、子どもの時分、お年玉でレコードを買ったり、カセットテープのダビングを貸し借りしあったりしたのは、結局、友人たちとのコミュニケーションの一環であり、特定のアーティストのレコードを集めたりしたのも、学校や部活での話題作りや、自分というキャラクターを注目させるためでしかなかった気がします。多くのプロミュージシャン・アーティストたちの回顧のように、音楽を、三度の飯より好きで好きでたまらなかった、なんてことはなく、結局、ただ、かっこをつけていただけだったのかもしれません。高校生のとき、バンドを組んだことだって同じです。文化祭に出演して女の子にモテたかっただけでした。

そんな自分が、なぜ居心地の良かった田舎のコミュニティから抜け出して、東京に出たいと思ったのか。バンドをやりたかったのかもしれませんが、今思うと、今ひとつ動機がはっきりしません。東京に住んだものの、結局、専門学校の友人たちとバンドを組むこともなく、漫然とバイトで暮らしていました。ほんとうにやりたかったら、どんな状況でもやっていたでしょうが、やりませんでした。しかし、そんなわたしが、音楽って素晴らしいと思った瞬間のことをよく覚えています。

それは三十年前。JIROKICHIにアルバイトとして入って1年くらい経ったころのことです。若かったわたしは、古いブルースしか聴かない、という馬鹿げたこだわりで自分のキャラクターを作ろうと頑張っていたらしく、ファンクや、ソウルミュージック、R&Bなどをほとんど毛嫌いしていました。ところが、深夜、酔っ払って、JIROKICHIのフロアーで半分朦朧とした意識の中、DJ役の先輩がチョイスするダンスミュージックに身を任せ、みんなと適当に踊っていたときのことです。瞬間、わたしの耳にふと入ってきたのはスライ&ザ・ファミリーストーンの「(You Caught Me )Smilin’」という曲でした。それは、わたしにある種の衝撃のようなものを与えたのです。気分よく酔って、余計なことを考えず、ただ身体を動かし、リズムに乗っていただけだったので、素直に聴けたのかもしれません。とにかく、それからというものの、わたしはスライ&ザ・ファミリーストーンをはじめ、ソウル・ミュージックが大好きになりました。
モータウンやゴスペル、ジェームス・ブラウン、ジャズなども好んで聴くようになり、そしてわたしはJIROKICHIで、熱い演奏をし、音楽で会話をする、さまざまな音楽を身につけたミュージシャンたちに憧れるようになったのでした。

要するに、わたしがほんとうに音楽に触れ、好きになったのは、JIROKICHIに入ってからだったのです。

【2023年1月】 《林左知恵》
あけましておめでとうございます。
旧年中、大変な時代を迎えてしまった中、会場にお運びいただいたお客様、配信の後売りチケットを買っていただいたお客様には、あらためて深く深く感謝いたします。ライブハウス業界の落ち込みもそろそろ底を打ったと信じて、2023年、スタッフ一同がんばっていきたいと思います。

ところで昨今、なんでも値上げ、値上げで驚いてしまいますね。とくに光熱費の請求書を見てびっくりしています。この値上げ=インフレの大きな原因は、コロナのパンデミックによるサービス業に落ち込みですが、追い討ちをかけたのがロシアのウクライナ侵攻です。せめて早く戦争が終わり、ロシア、ウクライナからの物流が以前のように戻ることを祈るばかりです。

しかし、なんでこの戦争は終わらないのか。「プーチンが侵略をやめないからだ」
そのように、ほとんどの人はきっと、ロシアが一方的に悪いのだと思ってニュースを見ているのではないでしょうか。「独裁者が隣国の領土を理不尽に奪おうとしている。助けなきゃ」

しかし、このような単純な物語を国際世論が作り出しているときは注意が必要です。
ゼレンスキーという人はほんとうにヒーローなのだろうか。プーチンは、核をちらつかせる侵略者、悪人だとマスコミに信じさせられているが、ほんとうなんだろうか。このように疑ってみることが大切です。たとえば、旧ソ連に対抗しようとして作られたヨーロッパの軍事同盟「NATO」は、かつて、旧ソ連(ロシア)にどんな約束をしていたのだろうか。ニュースを鵜呑みにせず、そういったことを調べてみる必要があるのです。極端なグローバリズムを嫌う国、ロシア・中国を面白くないと思っている勢力、巨大な国際財閥があるということ。彼らはアメリカにおいて政策に関われるような大きな力を持っているということ。そのアメリカが中心になってウクライナ支援のキャンペーンを行っているという事実。かつて、太平洋戦争でアメリカは、日本に対し、真珠湾攻撃をしかけるように仕向け、日本を侵略者、悪の国として位置付け、国際世論を作るキャンペーンをしたことはよく知られています。そしてアメリカは日本で核兵器を使い多くの人を殺したのでした。

世界は感情、宗教、マネーなど、人間の欲望が渦巻いて、極めて複雑に絡み合っています。「正義」対「悪」の戦い、などという映画のような単純な物語は存在しないのです。私たちの身の回りだって同じです。あいつとは仲良くできない、許せない、大嫌いだ。対立したあと、知恵のある人は、相手の悪口を言いふらしたりして味方を増やし、自分の立場を有利にしようと働きます。そして、相手を孤立させ、悪人であるかのように思わせるよう仕組むのです。ときにはグループを作ったり、対立の中、損得で敵味方が入れ替わったり複雑に絡み合います。しかし、私たちが、仲違いするときの様子を冷静に観察すると、ほとんどの場合、どちらが悪いとか、そういう問題ではないことに気がつきます。お互いが、いかに相手の立場や心理状態をシミュレーションできるかどうか。感情に突き動かされず、いかに状況を俯瞰して自分や相手を観察できるかどうか。このような考え方が私たちの間に広がればきっと、戦争は早く終わることでしょう。
とにかく、大変な時代ですから、みんで助け合って仲良く暮らしていきたいですね。

【2022年12月】 《アースウィンド&ファイターズ

不思議なこと。
人生において、偶然にしては出来すぎていると感じるような出来ごとがしばしばあります。ずいぶん会っていないミュージシャンの噂をしていたらその人からLINEが来た、電話が来た、現れた。玄関を出ると、ふとユーミンの「ひこうき雲」が頭の中に流れ、駅前まで歩くと、駅前の路上で、若い女の子が「ひこうき雲」を歌っていた、など。

しかし、それらはすべて偶然です。人間は、ついそういった現象に、なにか特別な、暗示的なものがあるのではと錯覚する生き物です。もちろんそこには神秘的な力など働いておらず、神様からのメッセージでもなく、ほんとにたまたまなのです。なぜなら、誰かの噂をしていても、その人が現れるなんてことは、実は、ほとんどないし、しょっちゅう頭に流れる誰かの曲のメロディーを、駅前に行くと必ず路上ミュージシャンが歌っているなんてことはまずないからです。

先日、渋谷のある雑貨屋で売っていた森茉莉という作家のエッセイを買いました。
森茉莉は明治の文豪、森鴎外の娘で、エッセイスト、小説家として活躍した人です。
幻想的で優雅な世界を表現することに優れた作家で、二度、結婚しましたが、生活能力のない人だったらしく、1987年に85歳で孤独死しています。森茉莉の存在はなんとなく知っていましたが、別段興味もなく、今まで読んだことはなかったのですが、偶然手に取って、なんとなく買ったというわけです。

次のお休みの日、よく晴れていたので、先日買った森茉莉のエッセイをポケットに、三鷹駅からバスに乗って、調布の深大寺まで出かけて行きました。散歩は、非常に心地よく、名物の蕎麦を堪能し、エッセイもなかなか面白くて、とても良い休日になりました。

バスで三鷹駅に戻り、ぜんぜんお腹が空かないなぁと思いながら、夕闇の前に三鷹駅周辺を散策してみることにしました。そういえば、三鷹駅の近くに、こちらも文豪、太宰治のお墓があったことを思い出した私は、ふとお墓参りを思いつきました。スマフォを駆使し、お寺の場所を調べると、駅から歩いて12分ほどのようです。

「ここか…… 」とひとりごちながら、おおきな山門をくぐり、墓地に入って行きました。
広い墓地の一角にある太宰治の墓は、時々ファンが訪れるようで、お酒や、花などが供えられています。ここが情死したかの有名な太宰の墓か……としばし感慨にふけりました。しかし、見渡す限り墓だらけの寂しい墓地であり、他に人影もなく、不気味に静まり返っています。墓前に軽く手を合わせると、さぁもう帰ろうと振り返りました。
「えっ」
振り返った墓の墓碑名に、森林太郎と刻んであったのです。つまりそこは森鴎外の墓だったのです。
まさかと思いました。まさか、森茉莉もここに?ポケットに突っ込んだ手で文庫のエッセイを触りながら私は、背筋が寒くなるのを感じました。そうです。鴎外の墓の二つ隣にある森家の墓。ここが森茉莉のお墓だったのです。

【2022年11月】 《リクオ with HOBO HOUSE BAND

一乗寺フェスという京都⇆東京で繋がる配信フェスの一環で、高円寺の街を紹介するコーナーとして作成した、JIROKICHIのYouTubeチャンネルで配信中の「JIROKICHI 店長タカの高円寺のみある記」が好評です。
気軽に、台本も打ち合わせもなく、いつものようにハシゴする感じで撮影したのですが、編集が素晴らしいこともあり、なかなか面白い番組になっています。

動画を客観的に見て、あらためて思ったことがひとつありました。
それは、自分はやっぱりお酒やツマミが「好き」だということです。「飲み歩きしてるんだから当たり前じゃないか」と思われるかも知れませんが、とにかく画面に映る自分がとても楽しそうに見えたのです。とくに、各店舗のツマミ&フードを紹介するシーンなどは、わざとらしい演技もなく、静かな熱量があって、なかなかいい。自分で言うのもアレですが、なんだか、またすぐに行きたくなるような気持ちになります。

ところで、どうしてそんな熱量があったかというと、繰り返しになりますが、ほんとうにお酒やツマミが「好き」だからです。

「好き」なものを語る手つきは誰もが鮮やかで、聞くものを魅力します。その情熱は伝わるし、情熱こそが利害関係のない他者のこころを動かす唯一のチカラです。

昔は、好きだの嫌いだの言う以前に、とにかく家族を養い、飯を食って生きていかなくてはいけませんから、そういった情熱のことなど二の次、三の次だったことでしょう。わたしが子どものころだって、趣味的なものはあくまで趣味であり、道楽などと言って、それが重要だという風潮は一切ありませんでした。

現代では、若い人たちの貧困が問題になることもありますが、野垂れ死にすることはほとんどありません。情報が過剰な世の中で、みんな、自分の小さな「好き」を追求できる時代です。その中で同じ「好き」を共有するコミュニティが無数にある状況です。昔のように、みんな同じ方向を向いているわけではなく、コミュニティもさらに細部化していくことでしょう。わざわざ外に出かけなくても、都会に暮らさなくても、承認欲求を満たす手段も多く、幸福という意味で言えば、昔よりもきっと幸福な時代であることは間違いありません。

けれど、日本は、少子高齢化によって国力がおおきく落ち込んでしまいました。このままいけば、私たちの国は、裕福でない低空飛行で満足している人しかいない寂しい国になってしまうでしょう。

そんな寂しい国では、イノベーションが起きたり、新しい音楽や文化が生まれることもありません。

何が言いたいかというと、まさにこれからは「好き」をもっと追求することが大事なのではないか、ということです。そして、「好き」の熱量が半端ない人やそのコミュニティーを支援する「雰囲気」をマスコミや政府が作る。これが必要なのではないかという気がしています。なぜなら、日本にとって必要なのは世界に通用するイノベーションだからです。それも、マニアックなイノベーション。マニアックなイノベーションは、いつの時代も「好き」から生まれています。居酒屋で例えるなら、店主の「好き」が高じて提供される珍味や創作料理。なにが次代のトレンドになるかは誰にもわからないのです。
長くなりましたが、日本の生きる道は、案外そんなところにあるような気がしています。

 

【2022年10月】 《竹中俊二

ドン・キホーテが好きです。
と言っても、あの驚安が売りのディスカウントショップではありません。もちろん、街道沿いにあるチェーンのハンバーグ・レストランでもありません。約400年前に書かれたセルバンテスという人物の長編小説「ドン・キホーテ」のことです。有名なので皆さんよく知っているかと思いきや、史実ではなく架空の小説だということも、どんな内容であるかも知らないという人が実は多いのではないでしょうか。

中世のヨーロッパ。土地を持っている地主、郷士たちは、戦争になると自分で武具や馬を用意し、戦場に馳せ参じました。戦場で華々しく活躍し武勲を立てたものは、まさにヒーローとなり王様の娘を娶るなどして栄光をつかむこともあったようです。やがて、そういった鎧を纏った騎士たちの活躍や所作、恋の遍歴は、美化されファンタジー的な物語となって16世紀にたくさん出版されました。

そんな騎士道物語に取り憑かれたのが「ドン・キホーテ」こと、スペインはラマンチャ地方の郷士アロンソ・キハーノです。彼は土地を所有し、比較的裕福な暮らしをしていますが、暇を持て余し、読書に明け暮れていました。彼は、土地を売ってまでして騎士道小説を買い集め、朝も昼も夜も読み耽りました。騎士道小説に出てくる栄光の騎士たちの世界にどっぷりと浸かり、やがて、現実と物語の世界の区別がつかなくなったキハーノは、自分を数々の武勲を立てるはずの遍歴の騎士だと思い込むようになります。

妄想に取り憑かれた彼は、家にあった時代遅れの鎧を身につけ、槍を持ち、痩せ馬にまたがり「ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ」と自ら名乗り、とうとう冒険の旅に出発します。しかし、正気を失った騎士の目には、何もかもが騎士道に則った冒険的出来事、ファンタジーに映ります。宿屋は立派なお城に、宿屋の親父は城主に、娘や女中は美しい姫君に、風車は巨人に。この調子でドン・キホーテは、村の小作人であるサンチョ・パンサを従え、痩せ馬ロシナンテにまたがり、各地で揉めごとや騒動を繰り返し、大怪我を負ったりしつつ、妄想に取り憑かれたまま滑稽な冒険を繰り広げて行きます。彼はまるで「ワンピース」や「ドラクエ」のような物語の世界を一人、生きているのです。

この小説は、けっこう長いのですが、サンチョ・パンサとのやりとりやエピソードが非常に面白く、当時の世相への批判、風刺が効いていて、400年前の作品とはとても思えないほどの名作です。機会があれば、ぜひ、前編だけでも読んでみて欲しい一冊です。

ところで、ずいぶん話が飛びますが、忌野清志郎さんのデビューのころのエピソードをご存知でしょうか。お母さんが高校生だった清志郎さんのことを思い悩んで、新聞の人生相談に投稿したという話です。

ギターや音楽に取り憑かれた清志郎さんは、学校にあまり行かなくなり、プロになると言って進学も諦めてしまいました。きっと親の目には、息子は頭がおかしくなってしまって妄想に憑かれてしまった……と映ったことでしょう。

つまり、なにが言いたいかというと、ロックやブルーズ、ジャズなどに取り憑かれた「ドン・キホーテ」たちが、私の周りにたくさんいる……ってことなのです。

【2022年9月】 《かわいしのぶ
バンドに誘われました。
彼らはわざわざJIROKICHIのBar Time に現れて「ギターを弾いて欲しいんです」といいます。困ったな、ギターなんてここ数年まったく触っていないし、弾けるかどうかわからないよ、と消極を表情でも伝えたのですが、彼らはまったく感じとってくれません。それどころか、高校生みたいに目をキラキラとさせて、バンドを組んでライブをするという楽しげな目的に高揚しています。わざわざ店に来てくれた上に、そんなかわいい様子を見せられたら、なんとなく無碍に断ることが難しいような感情に追い込まれ私は、とうとうバンドへの加入を承知してしまいました。

と言っても、このバンドは、あるロックイベントに15分だけ枠をもらって出演し、すぐに活動休止? するという刹那的な集まりで、イベント終了後、楽しく酒を飲めればそれでいい、という主旨のようです。15分の持ち時間といえば、おそらく二曲か三曲くらいでしょうから、そのくらいなら……と算段し了解したわけです。

私を誘いに来たのは、高円寺の焼き鳥屋の店長さんと元従業員、高円寺で評判のラーメン屋の店主でした。ほかのメンバーは、焼き肉屋さんの店主などですが、バンド名は「高円寺連合バンド」。もう少しいい名前が付いた方が良さそうですが、とにかく高円寺の飲食店店長的な人間が勢揃いして、バンドをやることになったのでした。

ところが、彼らはまったくの初心者で、楽器についてや音楽的知識は皆無。すべてを勢いだけで乗り切ろうとしています。無謀にもアレをやろう、これをやりたいと張り切っています。演奏がちゃんとできるかどうかなんて、まるっきり考えていません。果たしてどうなることやら不安でいっぱいです。けれど、普段の仕事を忘れ、みんなでリハーサルスタジオに入って、あーでもないこーでもない、とにかく、せーので音を出す、という経験のない緊張感、新鮮な気持ち、高揚を全身に顕し、みんなとても輝いて見えます。

素晴らしい。

バンドなんてそれでいい。余計なことを考えない勢いこそがもっとも魅力的で大事だったのです。プロミュージシャンたちはそういうわけにはいかないかも知れませんけれど、音を間違えるとかテンポが合わないとか、そんなことどうでも良くって、みんなで集まって一緒に音を出すという楽しさ。私は長く業界にいて、すっかり熟れてしまい、そういった初心を忘れていたのでした。

【2022年8月】 《加藤エレナ&江口弘史 DUO
新型コロナウイルス第七波の蔓延が広がっています。(7/23現在)一日で、35,000人というとんでもない勢いです。とはいえ、弱毒化していることは間違いなさそうで、このまま、単なる風邪という認識が世間に受け入れられるようになることを願うばかりです。

新型コロナウイルスの存在が私たちの耳目に届き始めたのは、2019年の暮れでした。JIROKICIHIは、45周年のイベントが目前で、てんやわんやしているころだったと記憶しています。そのころはまだ、中国で発生したウイルスがまさか世界中に広がって……などと想像もしていませんでした。
年が明け、二月に入って、45周年イベントはスタートしましたが、日本でも、じわじわと感染者が出始め、亡くなる人も出てきました。JIROKICHIはスペシャルライブ月間の途中に差し掛かり、なんとか無事に最後まで終えたいと思っていました。報道が加熱し、世間の話題はコロナ一色という感じになってきましたが、それでも、イベントが中止になるほどのことではないという認識でした。ですから、海外から招く予定だったアーティストの来日が危うくなり、リハーサルまで済ませていた山下達郎さんのライブが延期・中止になりそうだという話が出たときは、まさか、という思いでした。確かにウイルスの危険性が世間に知られ始め、今のうちに食い止めなければならないという論調が主になりつつありましたが、感染者はまだ二桁くらいで、周囲にはまったく感染者が現れるような気配もなく、現実だとはとても思えなかったのです。

結局、山下達郎さんのライブなど、いくつかの日程が延期、中止、ということになり、本来なら打ち上げで、スタッフ一同「45周年、おつかれさま!」となるところが、最終日、終わったら即解散みたいな雰囲気になってしまい、皆、押し黙って、暗い気持ちで、淡々と片付けをしたことを思い出します。
その後、休業要請があり、家からも出られない、長く辛い自粛の日々が始まります。
そしてようやく今年の春をもって、通常に……と思った矢先、またこの第七波。おそらく、このあとも、第八波、九波と繰り返すのでしょうが、そうこうしているうちに、JIROKICHIは、50周年ということになってしまいそうです。

50周年は果たして無事に迎えられるのでしょうか。
いや、大丈夫です。音楽が人々を興奮させるコンテンツである限り、ライブハウスの存在は重要だと考えているからです。そう思い続けている限り、私たちは、日々、素晴らしいミュージシャンたちとともに、質の高いライブをお届けしたいと考えています。

【2022年7月】 《小野塚晃トリオ》
ヒトは、退屈を我慢できません。退屈を感じると、スマフォをいじったり、テレビをつけたりYouTubeを観たり、どこかに出かけたりと退屈な時間を埋めるために様々な行動をおこします。

けれど、退屈=暇、ではないので厄介です。ひまつぶしになにかをやっても退屈なものは退屈です。予定が埋まっていていろいろ忙しいのに、退屈を感じることがあるのは、皆さんも経験があるのではないでしょうか。

好きなミュージシャンのライブを聴いているのに、ふと退屈を感じる瞬間がある。ようやく休みをとって旅行に出かけたのに、退屈を感じる時間がある。デートしているのに退屈で持て余すことがある……など。楽しいことをしているんだし退屈なはずはないのに……なぜか退屈している自分がいる。

では、私たちは、退屈だからと行動を起こすとき、ほんとうはなにを求めているのでしょうか。

昔、王様や殿様は、馬に乗り、家来を引き連れて、ウサギ狩りや鷹狩りなどに興じました。もちろんウサギ狩りはウサギを捕らえるのが目的です。しかし、狩りに出る前に獲物のウサギを差し出されても、ちっとも嬉しくない。なにが言いたいかというと、ウサギ狩りは、ウサギそれ自体が目的ではないということです。狩りのテクニックを駆使して競い合いあったり、その成果を周囲に誇って賞賛されたりする……つまり、「狩り」というゲーム、そのプレイにおいて興奮する、脳内にアドレナリンを放出する、それが目的なのです。

退屈を埋めて満足するためには、興奮させてくれるナニかが必要なのだとわかりました。スリルを味わったり、どきどきする恋愛をしたり、すごく美味しい物を食べたり。ときには興奮させるそれが恐ろしいニュースだったり、下世話なスキャンダルだったりすることもあります。電話でクレームをつけたり、喧嘩をしたり、つまり、「怒り」という感情も興奮と直結しています。興奮という現象のスイッチに善悪の区別はないのです。

ライブハウスでライブを楽しむことも退屈を埋めてくれる時間です。しかし、つまらないライブだとちっとも興奮しませんよね。けれど素晴らしい演奏をしているミュージシャンの興奮が伝わってくるとき……私たちは次第に空気に感化されていきます。
そして、次第にこっちも興奮してくる。

いいライブとは、わたしたちを興奮させてくれるライブのことだったんですね。

【2022年6月】 《山岸潤史 -June Yamagishi-》
ニューオリンズ在住のミュージシャン・山岸潤史さんは、私にとって特別なギタリストです。30年前、超満員のJIROKICHIのカウンターの中から、山岸さんの演奏を観て夢中になっていたことを思い出します。
ボーカルのホトケさんがギターソロを振ります。山岸さんは、さっそく粋なフレーズを弾きまくり、ここぞというときに絶妙なスクイーズ。さあくるぞと期待させ、見事にそれを回収してくれる生の快感。再現される本物のブルーズの数々。バンドメンバーたちを、そして観客全員を「持っていく」リズムギター。私はいつもいつも痺れっぱなしでした。
山岸さんは、永井ホトケ隆さんらが結成した70年代の関西を代表するブルーズバンド、ウエストロードブルーズバンドを経て、石田長生さんらとソーバットレビューを結成。その後、ジャズミュージシャンたちとチキンシャックを結成しオリコンチャートにヒット曲を送り込むなど日本を代表するトップミュージシャンとして活躍していました。
山岸さんに影響を受けたギタリストは数知れず、ミュージシャンたちに尊敬され、多くの人たちに愛されていました。
しかし山岸さんがほんとうにすごいのはここからです。山岸さんは、日本で積み上げてきたスーパーギタリストとしてのキャリアをあっさり捨ててしまいました。そしてただ一人、ニューオリンズに移り住み、その音楽シーンに飛び込んでいってしまったのです。
彼の地では、当時、山岸さんのことを知る人はほとんどいなかったかもしれません。けれど、音を出せばミュージシャンたちはすぐに解るわけです。山岸さんは、あっという間に溶け込みました。むしろ、ニューオリンズのミュージシャンたちよりも古いソウルやブルーズをよく知っていて、グルーヴを深く理解していたのです。
すぐに山岸さんの存在はアメリカのミュージシャンの間で知られるようになり、ニューオリンズファンク・シーンの中心的存在になっていきました。そして、ニューオリンズのメジャーグループのいくつかに所属するようになり、ジョーサンプルなど有名な一流ミュージシャンたちに名を連ねて来日するなど、本当に世界的なギタリストになってしまったのです。
ところで、山岸さんは記憶力がすごいんです。古い曲や、古いエピソードなど曖昧な箇所を正確に覚えていたり、先日、JIROKICHIのYoutubeチャンネルにて公開しているラジオ番組にコメントを寄せてくれたときは、35年以上前のセッションのメンバーを正確に覚えていました。ほんとうにびっくりしたのですが、やはり天才なのかもしれませんね。
6/5 6/6 JIROKICHIでのバースデーライブは、黎明期の日本のブラックミュージックシーンに名を刻んだメンバーたちと一緒にJIROKICHIのステージに立ってくれます。
記憶力のよい山岸さんの、昔のヤバいエピソードがたくさん聞けるかもしれません。なので、今回のライブは、放送できない発言があるかも? というわけで、YouTubeは配信はありません。
会場にて生のライブをお楽しみください。

【2022年5月】 《Super Power Blues》

蔓延防止期間も終わり、ようやく通常のスケジュールでライブが組めるようになってきました。未曾有のウイルス蔓延に三年以上沈んだ世界各国ですが、街を歩くと活気を感じるようにもなり、ようやく長いトンネルの出口が日本にも見えてきたような気がしています。

ところで、最悪だったコロナ禍。まだ不況本番はこれからという感じですが、JIROKICHIはかなりのピンチに陥りました。

しかし、休業を余儀なくされた中、ピンチはチャンスということで、スタッフ一丸となって取り組んで成果を上げたことがいくつかあります。その一つがライブのYouTube生配信です。

ライブの配信なんて考えたこともなく、はっきり言って闇雲でした。どうしたらいいかぜんぜんわかりませんし、休業しているので、機材を買う現金も店にありません。しかし、ミュージシャンの皆様や、お客様の支援で、なんとか最低限の機材を買うことができ、スタッフのスマフォをかき集め、カメラとして使いつつ、日々研究し、ミュージシャンたちの協力も得てなんとか配信を軌道に乗せることができました。お陰様で、今では楽しみにしている方も大勢いて、大変ご好評をいただいているようです。

毎日、配信ライブをしていて、気がついたことが一つあります。

話は逸れますが、ある日、野球中継を観ていると、コントロールも良く速い球を投げているエース級の投手が、開始早々連続ヒットを打たれ得点を許してしまいました。元投手の解説者は、「今日は投げるボールに魂が入っていないですね」というようなことを言っていました。だからいくら早くてもバットの芯で捉えられてしまうと。

カメラなんか意識せず、コロナ以前のように普通にやろうというミュージシャンもいます。
みなさんプロミュージシャンだし、会場では、迫力のあるいつも通りのいい演奏をしています。しかし、あとで配信の映像を観ると、カメラの向こうを意識していないと思われるライブは、なぜか良くないのです。配信ライブでは演奏の良さは伝わらない、と思っている人もいるかもしれません。けれど、ミュージシャンがカメラの向こう側の世界を意識し、魂を込めた演奏をすると、必ず視聴者に伝わるのです。