【2022年12月】
【2022年11月】
【2022年10月】
【2022年9月】
【2022年8月】
【2022年7月】
【2022年6月】
【2022年5月】

 

【2022年12月】 《アースウィンド&ファイターズ

不思議なこと。
人生において、偶然にしては出来すぎていると感じるような出来ごとがしばしばあります。ずいぶん会っていないミュージシャンの噂をしていたらその人からLINEが来た、電話が来た、現れた。玄関を出ると、ふとユーミンの「ひこうき雲」が頭の中に流れ、駅前まで歩くと、駅前の路上で、若い女の子が「ひこうき雲」を歌っていた、など。

しかし、それらはすべて偶然です。人間は、ついそういった現象に、なにか特別な、暗示的なものがあるのではと錯覚する生き物です。もちろんそこには神秘的な力など働いておらず、神様からのメッセージでもなく、ほんとにたまたまなのです。なぜなら、誰かの噂をしていても、その人が現れるなんてことは、実は、ほとんどないし、しょっちゅう頭に流れる誰かの曲のメロディーを、駅前に行くと必ず路上ミュージシャンが歌っているなんてことはまずないからです。

先日、渋谷のある雑貨屋で売っていた森茉莉という作家のエッセイを買いました。
森茉莉は明治の文豪、森鴎外の娘で、エッセイスト、小説家として活躍した人です。
幻想的で優雅な世界を表現することに優れた作家で、二度、結婚しましたが、生活能力のない人だったらしく、1987年に85歳で孤独死しています。森茉莉の存在はなんとなく知っていましたが、別段興味もなく、今まで読んだことはなかったのですが、偶然手に取って、なんとなく買ったというわけです。

次のお休みの日、よく晴れていたので、先日買った森茉莉のエッセイをポケットに、三鷹駅からバスに乗って、調布の深大寺まで出かけて行きました。散歩は、非常に心地よく、名物の蕎麦を堪能し、エッセイもなかなか面白くて、とても良い休日になりました。

バスで三鷹駅に戻り、ぜんぜんお腹が空かないなぁと思いながら、夕闇の前に三鷹駅周辺を散策してみることにしました。そういえば、三鷹駅の近くに、こちらも文豪、太宰治のお墓があったことを思い出した私は、ふとお墓参りを思いつきました。スマフォを駆使し、お寺の場所を調べると、駅から歩いて12分ほどのようです。

「ここか…… 」とひとりごちながら、おおきな山門をくぐり、墓地に入って行きました。
広い墓地の一角にある太宰治の墓は、時々ファンが訪れるようで、お酒や、花などが供えられています。ここが情死したかの有名な太宰の墓か……としばし感慨にふけりました。しかし、見渡す限り墓だらけの寂しい墓地であり、他に人影もなく、不気味に静まり返っています。墓前に軽く手を合わせると、さぁもう帰ろうと振り返りました。
「えっ」
振り返った墓の墓碑名に、森林太郎と刻んであったのです。つまりそこは森鴎外の墓だったのです。
まさかと思いました。まさか、森茉莉もここに?ポケットに突っ込んだ手で文庫のエッセイを触りながら私は、背筋が寒くなるのを感じました。そうです。鴎外の墓の二つ隣にある森家の墓。ここが森茉莉のお墓だったのです。

 

【2022年11月】 《リクオ with HOBO HOUSE BAND

一乗寺フェスという京都⇆東京で繋がる配信フェスの一環で、高円寺の街を紹介するコーナーとして作成した、JIROKICHIのYouTubeチャンネルで配信中の「JIROKICHI 店長タカの高円寺のみある記」が好評です。
気軽に、台本も打ち合わせもなく、いつものようにハシゴする感じで撮影したのですが、編集が素晴らしいこともあり、なかなか面白い番組になっています。

動画を客観的に見て、あらためて思ったことがひとつありました。
それは、自分はやっぱりお酒やツマミが「好き」だということです。「飲み歩きしてるんだから当たり前じゃないか」と思われるかも知れませんが、とにかく画面に映る自分がとても楽しそうに見えたのです。とくに、各店舗のツマミ&フードを紹介するシーンなどは、わざとらしい演技もなく、静かな熱量があって、なかなかいい。自分で言うのもアレですが、なんだか、またすぐに行きたくなるような気持ちになります。

ところで、どうしてそんな熱量があったかというと、繰り返しになりますが、ほんとうにお酒やツマミが「好き」だからです。

「好き」なものを語る手つきは誰もが鮮やかで、聞くものを魅力します。その情熱は伝わるし、情熱こそが利害関係のない他者のこころを動かす唯一のチカラです。

昔は、好きだの嫌いだの言う以前に、とにかく家族を養い、飯を食って生きていかなくてはいけませんから、そういった情熱のことなど二の次、三の次だったことでしょう。わたしが子どものころだって、趣味的なものはあくまで趣味であり、道楽などと言って、それが重要だという風潮は一切ありませんでした。

現代では、若い人たちの貧困が問題になることもありますが、野垂れ死にすることはほとんどありません。情報が過剰な世の中で、みんな、自分の小さな「好き」を追求できる時代です。その中で同じ「好き」を共有するコミュニティが無数にある状況です。昔のように、みんな同じ方向を向いているわけではなく、コミュニティもさらに細部化していくことでしょう。わざわざ外に出かけなくても、都会に暮らさなくても、承認欲求を満たす手段も多く、幸福という意味で言えば、昔よりもきっと幸福な時代であることは間違いありません。

けれど、日本は、少子高齢化によって国力がおおきく落ち込んでしまいました。このままいけば、私たちの国は、裕福でない低空飛行で満足している人しかいない寂しい国になってしまうでしょう。

そんな寂しい国では、イノベーションが起きたり、新しい音楽や文化が生まれることもありません。

何が言いたいかというと、まさにこれからは「好き」をもっと追求することが大事なのではないか、ということです。そして、「好き」の熱量が半端ない人やそのコミュニティーを支援する「雰囲気」をマスコミや政府が作る。これが必要なのではないかという気がしています。なぜなら、日本にとって必要なのは世界に通用するイノベーションだからです。それも、マニアックなイノベーション。マニアックなイノベーションは、いつの時代も「好き」から生まれています。居酒屋で例えるなら、店主の「好き」が高じて提供される珍味や創作料理。なにが次代のトレンドになるかは誰にもわからないのです。
長くなりましたが、日本の生きる道は、案外そんなところにあるような気がしています。

 

【2022年10月】 《竹中俊二

ドン・キホーテが好きです。
と言っても、あの驚安が売りのディスカウントショップではありません。もちろん、街道沿いにあるチェーンのハンバーグ・レストランでもありません。約400年前に書かれたセルバンテスという人物の長編小説「ドン・キホーテ」のことです。有名なので皆さんよく知っているかと思いきや、史実ではなく架空の小説だということも、どんな内容であるかも知らないという人が実は多いのではないでしょうか。

中世のヨーロッパ。土地を持っている地主、郷士たちは、戦争になると自分で武具や馬を用意し、戦場に馳せ参じました。戦場で華々しく活躍し武勲を立てたものは、まさにヒーローとなり王様の娘を娶るなどして栄光をつかむこともあったようです。やがて、そういった鎧を纏った騎士たちの活躍や所作、恋の遍歴は、美化されファンタジー的な物語となって16世紀にたくさん出版されました。

そんな騎士道物語に取り憑かれたのが「ドン・キホーテ」こと、スペインはラマンチャ地方の郷士アロンソ・キハーノです。彼は土地を所有し、比較的裕福な暮らしをしていますが、暇を持て余し、読書に明け暮れていました。彼は、土地を売ってまでして騎士道小説を買い集め、朝も昼も夜も読み耽りました。騎士道小説に出てくる栄光の騎士たちの世界にどっぷりと浸かり、やがて、現実と物語の世界の区別がつかなくなったキハーノは、自分を数々の武勲を立てるはずの遍歴の騎士だと思い込むようになります。

妄想に取り憑かれた彼は、家にあった時代遅れの鎧を身につけ、槍を持ち、痩せ馬にまたがり「ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ」と自ら名乗り、とうとう冒険の旅に出発します。しかし、正気を失った騎士の目には、何もかもが騎士道に則った冒険的出来事、ファンタジーに映ります。宿屋は立派なお城に、宿屋の親父は城主に、娘や女中は美しい姫君に、風車は巨人に。この調子でドン・キホーテは、村の小作人であるサンチョ・パンサを従え、痩せ馬ロシナンテにまたがり、各地で揉めごとや騒動を繰り返し、大怪我を負ったりしつつ、妄想に取り憑かれたまま滑稽な冒険を繰り広げて行きます。彼はまるで「ワンピース」や「ドラクエ」のような物語の世界を一人、生きているのです。

この小説は、けっこう長いのですが、サンチョ・パンサとのやりとりやエピソードが非常に面白く、当時の世相への批判、風刺が効いていて、400年前の作品とはとても思えないほどの名作です。機会があれば、ぜひ、前編だけでも読んでみて欲しい一冊です。

ところで、ずいぶん話が飛びますが、忌野清志郎さんのデビューのころのエピソードをご存知でしょうか。お母さんが高校生だった清志郎さんのことを思い悩んで、新聞の人生相談に投稿したという話です。

ギターや音楽に取り憑かれた清志郎さんは、学校にあまり行かなくなり、プロになると言って進学も諦めてしまいました。きっと親の目には、息子は頭がおかしくなってしまって妄想に憑かれてしまった……と映ったことでしょう。

つまり、なにが言いたいかというと、ロックやブルーズ、ジャズなどに取り憑かれた「ドン・キホーテ」たちが、私の周りにたくさんいる……ってことなのです。

 

【2022年9月】 《かわいしのぶ
バンドに誘われました。
彼らはわざわざJIROKICHIのBar Time に現れて「ギターを弾いて欲しいんです」といいます。困ったな、ギターなんてここ数年まったく触っていないし、弾けるかどうかわからないよ、と消極を表情でも伝えたのですが、彼らはまったく感じとってくれません。それどころか、高校生みたいに目をキラキラとさせて、バンドを組んでライブをするという楽しげな目的に高揚しています。わざわざ店に来てくれた上に、そんなかわいい様子を見せられたら、なんとなく無碍に断ることが難しいような感情に追い込まれ私は、とうとうバンドへの加入を承知してしまいました。

と言っても、このバンドは、あるロックイベントに15分だけ枠をもらって出演し、すぐに活動休止? するという刹那的な集まりで、イベント終了後、楽しく酒を飲めればそれでいい、という主旨のようです。15分の持ち時間といえば、おそらく二曲か三曲くらいでしょうから、そのくらいなら……と算段し了解したわけです。

私を誘いに来たのは、高円寺の焼き鳥屋の店長さんと元従業員、高円寺で評判のラーメン屋の店主でした。ほかのメンバーは、焼き肉屋さんの店主などですが、バンド名は「高円寺連合バンド」。もう少しいい名前が付いた方が良さそうですが、とにかく高円寺の飲食店店長的な人間が勢揃いして、バンドをやることになったのでした。

ところが、彼らはまったくの初心者で、楽器についてや音楽的知識は皆無。すべてを勢いだけで乗り切ろうとしています。無謀にもアレをやろう、これをやりたいと張り切っています。演奏がちゃんとできるかどうかなんて、まるっきり考えていません。果たしてどうなることやら不安でいっぱいです。けれど、普段の仕事を忘れ、みんなでリハーサルスタジオに入って、あーでもないこーでもない、とにかく、せーので音を出す、という経験のない緊張感、新鮮な気持ち、高揚を全身に顕し、みんなとても輝いて見えます。

素晴らしい。

バンドなんてそれでいい。余計なことを考えない勢いこそがもっとも魅力的で大事だったのです。プロミュージシャンたちはそういうわけにはいかないかも知れませんけれど、音を間違えるとかテンポが合わないとか、そんなことどうでも良くって、みんなで集まって一緒に音を出すという楽しさ。私は長く業界にいて、すっかり熟れてしまい、そういった初心を忘れていたのでした。

 

【2022年8月】 《加藤エレナ&江口弘史 DUO
新型コロナウイルス第七波の蔓延が広がっています。(7/23現在)一日で、35,000人というとんでもない勢いです。とはいえ、弱毒化していることは間違いなさそうで、このまま、単なる風邪という認識が世間に受け入れられるようになることを願うばかりです。

新型コロナウイルスの存在が私たちの耳目に届き始めたのは、2019年の暮れでした。JIROKICIHIは、45周年のイベントが目前で、てんやわんやしているころだったと記憶しています。そのころはまだ、中国で発生したウイルスがまさか世界中に広がって……などと想像もしていませんでした。
年が明け、二月に入って、45周年イベントはスタートしましたが、日本でも、じわじわと感染者が出始め、亡くなる人も出てきました。JIROKICHIはスペシャルライブ月間の途中に差し掛かり、なんとか無事に最後まで終えたいと思っていました。報道が加熱し、世間の話題はコロナ一色という感じになってきましたが、それでも、イベントが中止になるほどのことではないという認識でした。ですから、海外から招く予定だったアーティストの来日が危うくなり、リハーサルまで済ませていた山下達郎さんのライブが延期・中止になりそうだという話が出たときは、まさか、という思いでした。確かにウイルスの危険性が世間に知られ始め、今のうちに食い止めなければならないという論調が主になりつつありましたが、感染者はまだ二桁くらいで、周囲にはまったく感染者が現れるような気配もなく、現実だとはとても思えなかったのです。

結局、山下達郎さんのライブなど、いくつかの日程が延期、中止、ということになり、本来なら打ち上げで、スタッフ一同「45周年、おつかれさま!」となるところが、最終日、終わったら即解散みたいな雰囲気になってしまい、皆、押し黙って、暗い気持ちで、淡々と片付けをしたことを思い出します。
その後、休業要請があり、家からも出られない、長く辛い自粛の日々が始まります。
そしてようやく今年の春をもって、通常に……と思った矢先、またこの第七波。おそらく、このあとも、第八波、九波と繰り返すのでしょうが、そうこうしているうちに、JIROKICHIは、50周年ということになってしまいそうです。

50周年は果たして無事に迎えられるのでしょうか。
いや、大丈夫です。音楽が人々を興奮させるコンテンツである限り、ライブハウスの存在は重要だと考えているからです。そう思い続けている限り、私たちは、日々、素晴らしいミュージシャンたちとともに、質の高いライブをお届けしたいと考えています。

 

【2022年7月】 《小野塚晃トリオ》
ヒトは、退屈を我慢できません。退屈を感じると、スマフォをいじったり、テレビをつけたりYouTubeを観たり、どこかに出かけたりと退屈な時間を埋めるために様々な行動をおこします。

けれど、退屈=暇、ではないので厄介です。ひまつぶしになにかをやっても退屈なものは退屈です。予定が埋まっていていろいろ忙しいのに、退屈を感じることがあるのは、皆さんも経験があるのではないでしょうか。

好きなミュージシャンのライブを聴いているのに、ふと退屈を感じる瞬間がある。ようやく休みをとって旅行に出かけたのに、退屈を感じる時間がある。デートしているのに退屈で持て余すことがある……など。楽しいことをしているんだし退屈なはずはないのに……なぜか退屈している自分がいる。

では、私たちは、退屈だからと行動を起こすとき、ほんとうはなにを求めているのでしょうか。

昔、王様や殿様は、馬に乗り、家来を引き連れて、ウサギ狩りや鷹狩りなどに興じました。もちろんウサギ狩りはウサギを捕らえるのが目的です。しかし、狩りに出る前に獲物のウサギを差し出されても、ちっとも嬉しくない。なにが言いたいかというと、ウサギ狩りは、ウサギそれ自体が目的ではないということです。狩りのテクニックを駆使して競い合いあったり、その成果を周囲に誇って賞賛されたりする……つまり、「狩り」というゲーム、そのプレイにおいて興奮する、脳内にアドレナリンを放出する、それが目的なのです。

退屈を埋めて満足するためには、興奮させてくれるナニかが必要なのだとわかりました。スリルを味わったり、どきどきする恋愛をしたり、すごく美味しい物を食べたり。ときには興奮させるそれが恐ろしいニュースだったり、下世話なスキャンダルだったりすることもあります。電話でクレームをつけたり、喧嘩をしたり、つまり、「怒り」という感情も興奮と直結しています。興奮という現象のスイッチに善悪の区別はないのです。

ライブハウスでライブを楽しむことも退屈を埋めてくれる時間です。しかし、つまらないライブだとちっとも興奮しませんよね。けれど素晴らしい演奏をしているミュージシャンの興奮が伝わってくるとき……私たちは次第に空気に感化されていきます。
そして、次第にこっちも興奮してくる。

いいライブとは、わたしたちを興奮させてくれるライブのことだったんですね。

 

【2022年6月】 《山岸潤史 -June Yamagishi-》

ニューオリンズ在住のミュージシャン・山岸潤史さんは、私にとって特別なギタリストです。30年前、超満員のJIROKICHIのカウンターの中から、山岸さんの演奏を観て夢中になっていたことを思い出します。
ボーカルのホトケさんがギターソロを振ります。山岸さんは、さっそく粋なフレーズを弾きまくり、ここぞというときに絶妙なスクイーズ。さあくるぞと期待させ、見事にそれを回収してくれる生の快感。再現される本物のブルーズの数々。バンドメンバーたちを、そして観客全員を「持っていく」リズムギター。私はいつもいつも痺れっぱなしでした。
山岸さんは、永井ホトケ隆さんらが結成した70年代の関西を代表するブルーズバンド、ウエストロードブルーズバンドを経て、石田長生さんらとソーバットレビューを結成。その後、ジャズミュージシャンたちとチキンシャックを結成しオリコンチャートにヒット曲を送り込むなど日本を代表するトップミュージシャンとして活躍していました。
山岸さんに影響を受けたギタリストは数知れず、ミュージシャンたちに尊敬され、多くの人たちに愛されていました。しかし山岸さんがほんとうにすごいのはここからです。山岸さんは、日本で積み上げてきたスーパーギタリストとしてのキャリアをあっさり捨ててしまいました。そしてただ一人、ニューオリンズに移り住み、その音楽シーンに飛び込んでいってしまったのです。彼の地では、当時、山岸さんのことを知る人はほとんどいなかったかもしれません。けれど、音を出せばミュージシャンたちはすぐに解るわけです。山岸さんは、あっという間に溶け込みました。むしろ、ニューオリンズのミュージシャンたちよりも古いソウルやブルーズをよく知っていて、グルーヴを深く理解していたのです。
すぐに山岸さんの存在はアメリカのミュージシャンの間で知られるようになり、ニューオリンズファンク・シーンの中心的存在になっていきました。そして、ニューオリンズのメジャーグループのいくつかに所属するようになり、ジョーサンプルなど有名な一流ミュージシャンたちに名を連ねて来日するなど、本当に世界的なギタリストになってしまったのです。

ところで、山岸さんは記憶力がすごいんです。古い曲や、古いエピソードなど曖昧な箇所を正確に覚えていたり、先日、JIROKICHIのYoutubeチャンネルにて公開しているラジオ番組にコメントを寄せてくれたときは、35年以上前のセッションのメンバーを正確に覚えていました。ほんとうにびっくりしたのですが、やはり天才なのかもしれませんね。

6/5 6/6 JIROKICHIでのバースデーライブは、黎明期の日本のブラックミュージックシーンに名を刻んだメンバーたちと一緒にJIROKICHIのステージに立ってくれます。
記憶力のよい山岸さんの、昔のヤバいエピソードがたくさん聞けるかもしれません。なので、今回のライブは、放送できない発言があるかも? というわけで、YouTubeは配信はありません。
会場にて生のライブをお楽しみください。

【2022年5月】 《Super Power Blues》

蔓延防止期間も終わり、ようやく通常のスケジュールでライブが組めるようになってきました。未曾有のウイルス蔓延に三年以上沈んだ世界各国ですが、街を歩くと活気を感じるようにもなり、ようやく長いトンネルの出口が日本にも見えてきたような気がしています。

ところで、最悪だったコロナ禍。まだ不況本番はこれからという感じですが、JIROKICHIはかなりのピンチに陥りました。

しかし、休業を余儀なくされた中、ピンチはチャンスということで、スタッフ一丸となって取り組んで成果を上げたことがいくつかあります。その一つがライブのYouTube生配信です。

ライブの配信なんて考えたこともなく、はっきり言って闇雲でした。どうしたらいいかぜんぜんわかりませんし、休業しているので、機材を買う現金も店にありません。しかし、ミュージシャンの皆様や、お客様の支援で、なんとか最低限の機材を買うことができ、スタッフのスマフォをかき集め、カメラとして使いつつ、日々研究し、ミュージシャンたちの協力も得てなんとか配信を軌道に乗せることができました。お陰様で、今では楽しみにしている方も大勢いて、大変ご好評をいただいているようです。

毎日、配信ライブをしていて、気がついたことが一つあります。

話は逸れますが、ある日、野球中継を観ていると、コントロールも良く速い球を投げているエース級の投手が、開始早々連続ヒットを打たれ得点を許してしまいました。元投手の解説者は、「今日は投げるボールに魂が入っていないですね」というようなことを言っていました。だからいくら早くてもバットの芯で捉えられてしまうと。

カメラなんか意識せず、コロナ以前のように普通にやろうというミュージシャンもいます。
みなさんプロミュージシャンだし、会場では、迫力のあるいつも通りのいい演奏をしています。しかし、あとで配信の映像を観ると、カメラの向こうを意識していないと思われるライブは、なぜか良くないのです。配信ライブでは演奏の良さは伝わらない、と思っている人もいるかもしれません。けれど、ミュージシャンがカメラの向こう側の世界を意識し、魂を込めた演奏をすると、必ず視聴者に伝わるのです。