【2020年3月】 《佐藤研二》

ネット上では、しばしば怪しい、非科学的な陰謀説を流布して、閲覧者の不安を煽り、アクセス数をアップさせているような人がいます。そういった説を真に受け、正義感に駆られ、悪気なく、本気でそう思ってリンクを貼ってしまったり、リツイートしたりしてバズるのに積極的に加担している人も多いようです。
この度の新型コロナウィルスの感染拡大についても、中国が開発したウィルス兵器だとか、東日本の震災なども他国の地震兵器であるとか、安倍首相のスキャンダルが持ち上がるたびに、タイミング良く芸能人の薬物逮捕があるなど、見えない大きな権力が、一般庶民の支配のために、あるいは人口調整などのために、陰謀を企画して実行していると本気で信じてる人がかなり多いようです。
けれど、歴史を学んだり、行動経済についてちょっと勉強したりするとわかるのですが、国家、もしくは黒幕的な人物が、もしなんらかの陰謀を実行するとしたら、相当な経費と労力がかかると予想できます。だいたいにおいて、そのような兵器を使用する場合、精度を上げるために実験を繰り返すことになるでしょうから、その間の機密漏洩に関する防止策だけでも相当な労力と予算を当てなければならないでしょう。ですから、よほどの信念、徹底した組織力、組織の人間が有意義であると納得しうるほどの社会的な価値、理由、そして大国に匹敵する国家予算規模の資金力がないと実行できないはずです。
子供のころよく見たヒーローもの、仮面ライダーなどでは、ショッカーという世界中に支部を持つ秘密組織が、日々、犯罪や、破壊工作を行なっています。けれど、よく考えると、あのような組織を維持するためには、莫大な資金が必要です。アンデス山脈の秘密のアジトに住むという首領が、資金を調達し、すべて自己負担しているのでしょうが、ということは、首領は、クラウドファンディングなどなんらかの経済活動を行なって資金を集めていると考えられます。ですから、破壊工作や犯罪を蔓延させて、社会情勢を悪化させ、人々を不安にすればするほど、経済活動は麻痺し、資金獲得において不利になるわけですから、そこには大きなジレンマが生まれるはずです。
ある特定の国家や、見えない闇の支配者が、征服や、世界の人口調節を目的としてなにか行動を起こすなら、どのように広がるか予測の困難である危険なウィルスを蔓延させたり、国家予算に匹敵するような金を投入して、どれほどの規模の被害をもたらすか予測できない地震兵器で他国を攻撃したりすることは、選択肢として上策とは言えないでしょう。その必要が本当にあれぼ、例えば、中国の一人っ子政策のように、きちんと法律に則って、低コストで効率のいいやり方を考えるはずです。洗脳についても、例えば国民全てにマイクロチップを埋め込むなどを実行するとすれば、手術費用など巨額な予算を当てなければなりませんし、そもそも国民から大きな反発が予想されます。では、秘密裏に行うとしてもプロジェクトが大きすぎて、関わる人が多く、漏洩のリスクが大きすぎます。
昔、米ソの冷戦時代、アメリカが実際に行った「MKサーチ」と呼ばれる洗脳実験の話があります。敵国の重要人物などを想定し、機密事項を自白させたり、あるいは洗脳後に本国に帰し、ここぞというタイミングで裏切らせるというようなことが可能かどうかの実験です。米国は、この事件を国家プロジェクトとして、相当な予算を投入して行っていたそうです。
様々な実験が行われたそうですが、ある科学者が開発した薬物を投与した結果、一定の効果が認められたことがありました。売春婦を使ったその事件で、薬を投与された男が、機密事項をベラベラ喋ったのです。有効との判断で、薬物は大量に作れられましたが、実験を繰り返すうちに、投与された人物がどのような状態になるか正確な予測ができず、やはり洗脳は難しく兵器として使用することは不可能という結論になったそうです。結局、プロジェクトは放棄されてしまいました。そして、残ったのは、大量に生産された薬物です。軍の倉庫に保管され、廃棄される予定でしたが、関係者が横流しをし、米国に大量に流通することになりました。そうです。それが、あの伝説のウッドストックに象徴される、ヒッピームーブメントを形成する動力になったLSDという合成麻薬でした。

【2020年2月】 JIROKICHI 45th Anniversary [LIVE MUSIC LIVES ON]
※スタッフのつぶやきはお休み

 

【2020年1月】 《令和2年度も奇数月には逢いましょう」-大西ユカリの長生きこそがロックンロールだ-》

※スタッフのつぶやきはお休み

 

【2019年12月】 《HENRY DOMENICO DURANTE(ヘンリー・ドメニコ・デュランテ)STELLA ALA LUCE PONTORIERO(ステッラ・アラ・ルチェ・ポントリエロ)pf》

※スタッフのつぶやきはお休み

【2019年11月】 《Matteo Leone》

JIROKICHIは、お陰様で来年45周年を迎えることになりました。これも偏に、日々出演してくれるミュージシャンの方々と、ご来場くださるお客様のおかげです。いつも本当にありがとうございます。つきましては、2020年2/1~3/18の期間、日替わりのスペシャルライブを行うことになりました。皆様、11月半ばには超豪華な顔ぶれが発表されますので、お楽しみになさっていてください。

ところで、関東を直撃した台風19号、すごかったですね。幸い、高円寺はそれほど被害はなくて、また、店も浸水などせずに済みましたが、温暖化の影響かどうか、毎年、こんなふうに大きな台風がやってくるようだとたまりませんね。もう25年以上前のことですが、今回のように大きな台風がきて、大雨が降ったときのことです。まさかJIROKICHIのビル、壁から水が染み出して浸水してくるなんて誰も思っていなかったので、特に対策もせず、機材やレコード、その他ビデオテープなどもそのままだったわけです。翌日のライブは、たしか、ホトケさんや山岸さんたちのセッションで、台風一過の午後、スタッフが店に来てみると、床は一面水浸し。いや、もう、浅い池のようになっていたわけです。当然ライブは中止になり、その日の出演ミュージシャンたちも手伝ってくれて、なんとか水をかき出したのですが、床に置いてあったものはすべて水に浸かってしまったために、冷蔵庫は壊れるし、貴重なビデオテープやレコード、カセットテープ、予備の機材などほとんどダメになってしまいました。ようやく水が引いて店内が乾くと、床の板もボロボロになってしまい、結局全部張り替えなければならなくなりました。その後も度々浸水の被害に遭ったため、大雨が降ると、機材などは高いところにあげて帰るようにしていますが、今回のような台風が来たり、大雨が続いたりすると、私たちは、いつもいつもヒヤヒヤさせられるのです。

思い起こせば浸水もそうですが、とにかく、いろんなことがあって大変な45年でした。けれど、どうにかここまでやってこれました。2011年の震災のピンチも、マスター荒井誠の急逝も乗り越え、なんとかやってきたのです。お客様とミュージシャンの方々には感謝しかありません。ほんとうに、ほんとうに、いつもありがとうございます。そして、今後とも、JIROKICHIをどうかよろしくお願いします。

 

【2019年10月】 《Arabesk》

最近は、遺伝学がかなり発展していて、進化学や脳科学、認知心理学などと絡めて、私たち人間の能力について、かなりのことが明らかになっています。昔は、有名人の誰々の子育て法とか、英才教育とか、幼い頃の家庭環境が大切であると私たちは思っていました。たしかに音楽においては、5歳頃までに音感を身につけるかどうかで、将来、大きな差が生まれるということは、ライブハウスという現場にいて、また、自分のバンド活動の体験からもよくわかります。きっと、JIROKICHIに出演する一流ミュージシャンたちのほとんどは、早くからなんらかの音楽教育を受けているはずです。
しかし、英才教育や、有名私立校に入学させるなど、子供の教育に投資し、環境を整えてあげることについては、実は、ほとんど意味がないのだそうです。とくに音楽や絵画、文章を書くことなど芸術的才能に関しては、遺伝によるところがほとんどで、才能のない人にいくら教育をほどこしても、本人が頑張ればある程度まではできるにしても、結局はものにならないらしいのです。とはいっても、遺伝というのは複雑で、生まれた国とか、生活環境に左右されることだってないとは言えないません。けれど、勘違いされやすいので慎重に論じられるべきですが、生涯所得や、性格、犯罪率の高さなども遺伝によるところが大きいらしく、これまで私たちが受けた画一的な教育というものは、見直される時期に来ているのかもしれません。アンジェリーナ・ジョリーというアメリカの有名女優は、遺伝子検査を受け、乳癌と卵巣癌になる確率が非常に高いという結果を受け取り、驚くべきことに、健康な乳房(乳腺)と卵巣を切除してしまいました。信じられないような行動……と思うひともいるかもしれませんが、近未来においては、きっと当たり前の予防治療となることでしょう。
では、遠くない将来、天才とか、遺伝的に優れた人を選別して、それ以外を淘汰させるような政策を取る時代になったりするのでしょうか。いえ、どうやら、そうはならないようです。例えば、古代なら生かされた遺伝的身体能力も現代においてはあまり役に立たないとか、高度な知識を必要とするIT社会で有利な遺伝的知能も、AI(人工知能)が中心となる未来の世界ではほとんど役に立たなくなるということだってあるかもしれません。普段、職場でバカにされているような人が、実は遺伝的に優れた臭覚を持っていて、そういう人がもっとも必要とされる時代だってくるかもしれないのです。
つまり、私たち人類の淘汰されなかった多様性は、人類が繁栄するために必要だったということです。かつてヒットラーがとった政策のように、優れているとされる遺伝子ばかりを選んで積極的に交配させる、などという行いは、逆に人類を滅亡に導くかもしれません。
音楽的に才能のある遺伝子を持って生まれた人は、それを生かし、人々を楽しませればいい。頭の良い人は、それを生かし、社会の発展に貢献すればいい。一般の凡庸な人だって、職場やチーム、バンド、遊び仲間など、現場、場面において、例えばいじられ役とか、和ませ役とか、そういう遺伝的才能を発揮して、周囲を楽しく明るくしたりしている人だっているのです。要するに、遺伝的才能なんてどう転ぶかわからないのだし、あまり気にすることはないのかもしれません。

 

【2019年9月】 《ミサイルイノベーション》

若い頃は、名前が出てこないとか、なかなか顔を憶えられないなどという大人たちの感覚がまったく理解できませんでした。小中高時代の学友や、先生の名前、近所の人の名前などもすぐに思い出せたものです。ところが、徐々に記憶能力は衰え、最近では、好きだったバンド名や、曲名、ミュージシャンの名前なども出てこなくなって、会話がスムーズに繋がらないという場面も増え、この先どうなってしまうのかと、思わず自身を憂いてしまう今日この頃です。新たな情報を毎日のようにインプットするわけですから、脳の許容量ということもあるだろうし、仕方がないとは思いますが、せっかく読んだ本の内容を忘れてしまったり、憶えておきたかった場面や面白い話などを忘れてしまうのは悲しいですよね。
最近読んだ脳科学の本によると、右利きの人は、右手に何かを持って強く握りながら憶えるようにすると、記憶力がかなりアップするそうです。反対に、思い出すときは左手を強く握るのだそうです。左利きの人は、多分逆だということでしょうが、これはまだ実験のデータがないとのこと。皆さん、忘れなかったら、是非試してみてください。
最近、ミュージシャンの方々と、ライブ終了後のカウンターで話をしていて、なかなかおもしろかった話題を忘れないうちに書き留めておこうと思います。皆さん、コンダラという道具をご存知でしょうか。昔、「巨人の星」というスポ根テレビアニメがありましたが、あのオープニングテーマに出てくる道具です。「重いコンダラ、試練の道を~♫」はい、主人公、星飛雄馬がグランドで懸命に引いている、あの大きくて重いグランド整備用のローラーのことですね。もうお気づきだと思いますが、変ですよね。何を言っているんだ、「思い込んだら試練の道を~」だろ、と。
昔、あるベーシストが、自分の所属するバンドの某ギタリストに「知ってる? あれ、コンダラっていう道具なんだよ」とウソを教えたところ、彼はそれをずっと信じていたんだそうです。最近、その話がデタラメだと知ったギタリストは「騙された〜」と、憤慨したそうですが、これ、もしかしたら、意外と勘違いしていた人も多いんじゃないか、という話になりました。さっそくググってみると、これ、相当な数の方が「重いコンダラ」と思い込んでいたようです。コンダラと言えば話が通じる、というくらいだったのです。驚きました。後日、日本語の誤用にうるさいある著者の本がこのことを面白おかしく取り上げていて、「重いコンダラ、試練の道を♫」の方が、詩的に素晴らしいじゃないかと書いていて、うんなるほど、と思いました。

 

【2019年8月】 《中川敬×リクオ》
楽は、抑揚をつけて言葉を唱えることや、感情のほとばしりによる発声、それに伴う手拍子や、猛獣の撃退に使った鐘、法螺貝、太鼓に似た道具類などを使うようになったことによって、次第に形作られていったそうです。やがてそういった最初期の「音楽」は、儀式や、儀礼、祭事などで必須のものとなり、琴や笛などが用いられ、糸を張って音を出す楽器から音階やハーモニーが発見され、長い年月を経て、次第に娯楽的なものになっていったと考えられています。音楽を理解できるのは人間だけだと言われています。遺伝的に近いヒト以外の霊長類はビート(拍子)やテンポに反応できないのだそうです。人類は、言葉をツールとして使うようになり、それに伴って脳を進化させてきました。その進化の過程で、音楽に対する能力を獲得していったようです。
ところで、音階の発見ってすごいですよね。いわゆる「ド」の音から、オクターブ高い「ド」までの音の高低を、12音で区切って私たちは今日、音楽において使っています。どうしてオクターブ内で音を区切るかというと、ヒトに共通する感覚として、ある音の2倍の周波数を、高いけれど同じ音と認識できるからです。ですから、実はオクターブ内をどう区切ってもいいのですが、現在、ほとんどの楽曲で使われているのは、12音で区切った音階(12平均律)です。どうしてかというと、音楽を作ったり演奏したりする上で一番便利だからです。本当は、周波数的に、和音がもっと美しく響く音律がいくつかあるのですが、転調させるとたちまち不協和になってしまったり、オクターブ高いドの音が微妙にずれていってしまったりするのです。
平均律12音階のうちの7つの音であるドレミファソラシドが、いわゆる基本の音階として私たちがよく知っている音の並びです。弾いてみます。子どもの頃から慣れ親しんでいるあの音階です。次に、ミとラとシを半音下げてドから弾いてみます、するとなぜか悲しい感じの響きになります。こうして様々な音階が生まれ、情緒がある響きとか、緊張感を感じさせる音階とか、様々な音の並びが知られています。そしてその音階上には、ドからレを飛ばしてド、ミ、ソと同時に鳴らすと、和音という協和の響きがあることが発見され、起結感のあるメロディーに和音をつけると、コード進行という規則性があることもわかりました。
さて、12音階を平均律で区切ることが、和音に多少の不協和があっても、便利であることには納得がいきましたが、もっと細分化してみるとどうなるのでしょうか。例えばドとレ♭の間にもう一音入れたような音階です。微分音というそうです。微分音を使って新しい音楽は作れないのでしょうか。ググってみると、24音階にチューニングされたエレピで演奏してみました、という映像を発見。うーんやっぱりチューニングが狂っているふうにしか……と思って聴いていましたが、よく考えると、ブルースの演奏で用いられるスライド・ギターの、弦を滑らす音に似ていることに気がつきました。なるほど、やっぱりそうなるか。

【2019年7月】 《sorano》
正義という概念。実はこれ、かなり厄介なものですよね。「誰か」が現状に不満を覚え「正義」に駆られた結果、暴動が起きたり、戦争が起きたりしているのです。戦争が起きれば、街は荒廃し、多くの人々が犠牲になります。難民が生まれ、子供たちが貧困に苦しむ不平等な世界になってしまいます。
ところで「正義」がどうして不幸を招くのでしょうか。正義といえば、正義の味方とか、悪を懲らしめるスーパーヒーローなどを思い浮かべるし、正義感の強い人とか、正義の為に戦うとか、なんだか立派な概念のような気がします。けれど正義の定義は性別や人種によって違ったりもする曖昧なもののような気もします。「正義」って一体何なのでしょうか。正義は相対的なもので、悪と対峙します。「悪」は悪いことだから、みんなが悪いと共通認識している犯罪や、不正を裁き、正すのが正義と言えそうです。けれどイエス・キリストの言った言葉や、ムハンマドの残した言葉を厳格に守るのも正義だし、両親や、国家が定めたその国特有の法律や、特定のグループ内(暴力組織だとしても)で決められているルールを守ることも正義かもしれません。経済学の概念に、トレードオフという考え方があります。たとえば、Aさんが100円を握りしめ、果物屋さんに買い物に出かけたとします。店頭にはリンゴとオレンジが並んで置いてあります。それぞれ一個100円です。Aさんはリンゴもオレンジも両方欲しいと思っていますが、100円しか持っていないので、どちらか一個しか買えません。普通ならあきらめてどちらかを買うことになりますよね。しかし、この買い物に「正義」(もしくは宗教)というエッセンスを与えるとどうなるでしょうか。1.リンゴもオレンジも両方とも味わいたいのにどうして私はリンゴしか買えないのだろう(神さまが約束してくださったのに)→2.リンゴもオレンジも100円で買えるユートピアがどこかにあるはずだ→3.オレンジとリンゴを100円で売ってくれない果物屋は悪い店だ、強欲でけしからん……。
このように思考が変化していくのだそうです。結果、果物屋の店主を罵倒するとか、最悪の場合、打ちこわして略奪……つまり戦争が起きるというわけです。正義なんてウソでした。けれど戦争なんかあってはなりません。そこで、頭のいい人は、戦争の起きない理論もちゃんと提示しています。果物屋さんにはBさんも連れていくのです。Bさんも100円だけ持っていて、両方食べたいと思っています。どうするか。Aさんはリンゴを買います。Bさんはオレンジを買うのです。持って帰って、家で半分に切って分ければ、二人とも両方味わえるというわけです。本当は二人ともリンゴもオレンジも丸々一個食べたいところですが、それは両方味わえたのだから良しとして我慢します。この考え方を人々が応用すれば戦争は起きないというわけです。この超簡単な論理を世界人口の半分くらいが理解していれば、戦争も貧困もなくなるそうです。でも現実は……。とにかく、ギターをかき鳴らして「戦争反対」と叫んでいるだけではダメみたいですね。

 

【2019年6月】 《平安隆 with 東京中央線》
昔、アニメ化もされて流行った漫画に、「美味しんぼ」という作品があります。今は確か休載中だったと思いますが、100巻を超える長い連載を誇るグルメ漫画です。山岡士郎と栗田ゆう子という新聞記者が、当代随一の芸術家で美食家である海原雄山という豪傑と、料理で対決をする話を軸に、当時の底の浅いグルメ文化を批判し、食で人を感動させ、様々な問題を解決していく人間ドラマです。
最近、あらためて、アニメの方を観ていて気がついたことがあります。主人公、山岡士郎と栗田ゆう子の二人が、ある有名評論家のところへ記事の執筆依頼に行くと、昨今のグルメブームとやらに嫌気がさして食べ物について書くことはやめたと、断られてしまいます。士郎は一計を案じ、有名評論家を禅寺に連れて行き、洗練された胡麻豆腐を食べさせ、感動をさせることに成功します。結果、仕事の依頼を承知してもらえるのですが、気になったのはその内容ではなく、背景に描かれていた、当時の日本の風潮です。
1980年代、日本は世界一豊かになり、お金持ちは海外旅行に行って爆買い。パリなどで高級ブランド品を買いあさり、高級レストランで高級な料理を食べまくります。アニメを観ていて、ああ、そういえばそういう時代だったな、と思ったと同時に、これ、つい最近まで中国人たちが日本で見せていた爆買いの姿と同じじゃないか……と気がつきました。かつて、日本人もお金持ちになって、そのような行動をして、海外で顰蹙をかっていたのです。しかし、急に豊かになったりすれば、そういう風になるのもしかたがないのかもしれません。古代、ヨーロッパの大部分を版図に収め、大繁栄したローマ帝国は、従えた各地域から奴隷を連れて来て働かせたため、豊かになって、ローマ人たちは毎晩のように朝から晩まで酒池肉林の宴会三昧だったそうです。地方の名産品を買い集め、贅沢な料理を食べまくり、お腹がいっぱいになると、医者が特別に調合した吐き薬を飲んで全部吐き出し、また、贅沢な料理を運ばせていたそうです。しかし、その栄華を極めたローマも東西に分裂し、西ローマ帝国は、ゲルマン人たちの流入によって混乱し、滅びてしまいました。 日本は、少子高齢化という構造的な問題を抱え、中国は、アメリカとの貿易戦争に突入し、ともに斜陽の時代を迎えています。両国とも、まだ滅びないとは思いますが、これ以上、豊かになることはないかもしれません。しかし、これからは、物質的な豊かさを追求するのではなく、心の豊かさを追求する時代になるはずです。音楽も、豊かな人生のツールの一つとして、残っていくでしょうから、ライブハウスもまだ必要とされるでしょう。というわけで、来年の令和二年、JIROKICHIは45周年を迎えます。スタッフ一同、頑張って行きたいと思います。

 

【2019年5月】 《Wild Chillun》

令和。なかなかいい元号だと思いますが、「学者連中の知識を疑うよ。本当はレイワじゃなくて、リョウワと読ませるべきだ……」と興奮気味におっしゃっていたベーシストの方がいました。実際のところはどうなんでしょうね。ともあれ、新しい時代がスタートします。令和の時代、日本は大きく変貌することでしょう。資本主義の社会は、経済成長を続けなければいけないという宿命にあるのですが、中国や、東南アジア諸国の成長に比べ、日本の経済は失速してしまいました。ところで、経済活動の原動力といえば「欲望」です。人々に欲望があるからこそ経済が回るのです。欲望などというと、欲望丸出し、強欲、欲張りなど、その言葉にはよくないイメージがありますが、例えば、お金が欲しいと思うから働くのだし、もっと稼ぎたいと思って会社を起こしたり、投資したり、アイデアをひねったり、勉強をしたりするのです。日本は少子高齢化によって、欲望の強い若い年代の人たちが大きく減ってしまいました。輪をかけて、インターネットの普及により、安価な娯楽を享受できるようになり、購買意欲も後退しました。そうなると、働き手も、消費者も少ないという社会になるわけですから、税収も減るし、国力は衰える一方です。安倍さんのその場しのぎの政策は、今はうまく行っているように見えますが、将来の日本人に大きな負の財産を残すことになりました。国が抱えている莫大な借金がさらに増えたのです。今の子供たちが働き盛りになるころには、年金制度も、税制も、今の状態を保っていられないでしょう。そうなると、今の日本が維持されるためには、移民を受け入れるしかありません。海外から若い労働力と消費者を呼びこまなければならないのです。しかし、日本人は、島国で、鎖国状態が長かった時代があったせいか、異国の人を受け入れるのに抵抗がある人々です。例えば、外国人の犯罪などに過剰に反応します。ですから、急激に異国の顔だらけの国になるということはないでしょうが、混血も進むだろうし、数十年後には、いわゆる日本人的な顔の人は、きっと少なくなっていることでしょう。ライブハウスや、音楽産業の形態も変わって、例えば、東南アジア系の二世バンドとかが、日本で新らしい音楽を産んで、一時代を作ったりするかもしれません。
まあ、とにかく令和。平成のように、戦争のない時代であることを心から願います。

 

【2019年4月】 《Enzo Favata Crossing Quartet》
イタリアのベテランサックスプレイヤー、エンツォ・ファヴァータさんという方が、自身のグループを率いて来日し、ジロキチで二日間演奏してくれることになりました。(4/10、11=エンツォ・ファヴァータ・クロッシング・カルテット)エンツォ・ファヴァータさんは、長年に渡り、ジャズや世界各地の民族的要素をミックスした音楽を追求してきた、ヨーロッパでは著名な方だそうで、サックスだけではなく、バンドネオンなども演奏する多才な人のようです。映像を見ましたが、喉の奥にまで届いて響くような、素晴らしい演奏が間近で聴けそうで、今からとても楽しみにしています。ところで、エンツォ・ファヴァータさんは、イタリアという国を構成する大きな島の一つ、サルデーニャ島という島のご出身だそうです。イタリアといえば、マフィアで有名なシチリア島は知っていましたが、サルデーニャという島は初めて聞いたので、さっそく調べてみることにしました。
サルデーニャはシチリア島とほぼ同じくらいの大きい島で、東京都の10倍くらいあるそうです。ちなみに地図で見ると、すぐ上に、あのナポレオンの生まれた島、フランス領コルシカ島があります。古代より、地中海を渡る上で、ヨーロッパとアフリカをつなぐ中継地点として重要な島だったそうです。王国として独立していた時期があったり、オーストリア領やスペイン領になったりと、複雑で入り組んだ歴史を持っています。現在はイタリア領なので、イタリア語が公用語ですが、先史時代のヨーロッパ人の貴重な遺伝子を残すというサルデーニャ人が住み、サルデーニャ語が広く使われています。とにかく天国かと思うほど美しい島だそうです。
当日は、サルデーニャのワインやチーズなどを仕入れて、来てくれた方に提供したいと思い、ついでに料理についても調べてみることにしました。サルデーニャの料理は、基本、イタリア料理なのですが、北アフリアやアラブの影響も受けて独自に発展しました。豊富な魚介類を使った料理や、羊の肉の肉料理、パスタ、薄く焼いた硬いパンなどを食べるようです。当日、勉強して、なにかサルデーニャ料理を1品作ろうかとも思いましたが、羊の丸焼きの画像がドーンと出てきて、あ、こりゃだめだ……とあっさりあきらめました。ところで、仕入れようと思っているチーズは、ペコリーノという羊の硬いチーズで、もともと保存用に作ったため、けっこう塩分が強いとか。サルデーニャ産のワインも飲んだことがないので楽しみです。
ちなみにイワシのことを英語でサーディンと言いますが、サーディンはこの島の名前が由来なのだそうです。へー。

 

【2019年3月】 《ローホー》

「平成」が終わります。「昭和」は歴代最長の62年(実質)という長きに渡って続きましたが、「平成」は31年でお了いということになりました。古代から数え、247もある元号の平均年数は、だいたい5年くらいだそうですから、「平成」もかなり長かったほうなのだそうです。次の元号は、一体どの漢字が選ばれるのでしょうか。選定はかなり難しいそうです。かつて元号を使っていたシナ(中国)などと重複してはいけないし、その歴代帝王の諡号(死んでから付けられるおくり名)や、宮殿、土地名なども使えません。しかも選ばれた言葉の意義は深長なものでなければいけないそうです。さらに「論語」「孟子」など、中国の古典から引用すること、音階調和的にも優れ、簡単平易なものと定められているようなので、依頼され、案を提出する学者の方々は、すごく頭を悩ませることでしょう。明治はM、大正はT、昭和はS、平成はH、この並びのアルファベットともかぶってはいけないそうですから、過去の没案を持ってきたりして検討するほうが早いのではないでしょうか。ところで元号というのは、中国の影響下にあったアジア東部の国々で使われた紀年法の一種で、特定の年代につけられる称号です。前漢の武帝のころ(紀元前115年)に創始され、かつては、朝鮮、ベトナムでも使用されていましたが、現在は日本だけが採用しているシステムです。日本が元号を定めて使うようになったのは、飛鳥時代、西暦でいうと645年の「大化」からとされています。歴史の授業でならうあの有名な「大化の改新」の「大化」ですね。現在は、天皇の崩御、譲位があったときのみ改元されることになっていますが、「明治」以前は、災害や戦乱、社会不安など、いろいろな理由でしょっちゅう改元していました。飛鳥時代は面白くて、白いキジを献上されたから「白雉」とか、甲羅に良い文字が浮いて出たカメをもらったから「霊亀」とか、金を献上されてめでたいから「大宝」とか。ちなみに、明治天皇の父親、孝明天皇の時代は6回も改元しています。黒船来航、桜田門外の変など、幕末は、国を揺るがす大事件がたくさんあったので、皇室も幕府も、改元によって悪い流れを変えたいという願いがあったんでしょうね。

 

【2019年2月】 《アース・ウインド&ファイターズ》
30年前、アース・ウインド&ファイヤーのコピーをやりたいとメンバーを集め、大阪で「アース・ウインド&ファイターズ」を結成した、ボーカルの橋本仁さんは、まだライブをやるかどうかも決まっていない最初のリハーサルで、すでにカツラをかぶり、衣装を着け、モーリス・ホワイトのいでたちで現れたそうです。 やっぱり有名になる人というのは、最初から気合が違いますね。
ところで、モーリス・ホワイトの髪型を再現するためには、まずハゲヅラをかぶり、その上から、さらにカーリーヘアのカツラをかぶるのだそうです。そして、モーリスと同じ広いオデコを表現するため、カーリーヘアの前方部をカットします。カットした端材で、もみあげを作れば完成。しかし、汗をかくと、もみあげの部分が剥がれてきてしまい、歌いながら動くと、走るダックスフンドの耳みたいにパタパタとなってしまうのだそうです。
さて、テレビのオーディション番組で、人気に火がついた「アース・ウインド&ファイターズ」は、数社からデビューの話があり、デビューが決まると、本格的に活動を開始します。その実力は、本家を上回るなどと言われるほどでした。今でも、「アース・ウインド&ファイターズ」と言えば業界で大変有名で、例えば、ボーカルの橋本仁さんは、「橋本仁」と紹介されるより、「ファイターズのボーカル」と紹介されると、「ああ、あの!」となるそうです。あるとき、活躍を続けるファイターズに、本家、アース・ウインド&ファイヤーのオープニング・アクトをやらないか、という大きな話が舞い込みました。しかし、残念ながらこの話は立ち消えになってしまいました。理由はわからないそうですが、ファイターズのビデオを観たモーリス・ホワイトさんが、仁さんのパタパタと羽ばたくカツラのもみあげを観て、「オレはこんなんじゃない」と不機嫌になった、ということがあったそうです。ㅤ

 

【2019年1月】 《大西ユカリ》
平成が終わろうとしています。平成の幕開けは私にとって印象深く、テレビ番組が特番ばかりになったり、学校が休みになったりと、世の移り変わりを感慨深く意識したことを覚えています。平成の二文字を国民に発表した当時の官房長官は、小渕恵三さんという方で、私の故郷の人でした。彼が緊張の面持ちで、マスコミのフラッシュを浴びるシーンは繰り返し報道されましたし、のちに総理大臣にもなりましたので、大変誇らしく思ったものです。
その平成元年には、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結。その後のソ連解体へと歴史が動きます。一方中国では天安門事件が発生しましたが、国が民主化運動の弾圧に成功したことで、共産主義崩壊までには至りませんでした。しかし中国はその後、資本主義経済を取り込んで大国になり、経済大国日本は中国に抜かれ、この平成の30年間で確実に衰退しました。裕福になった中国の人々が日本に旅行に来て、観光地はどこも中国人だらけ、という現象はもはや馴染みの光景ですね。
ところで、平成時代で一番記憶に残っていることといえば、私にとっては、オウム真理教の起こした大事件です。平成5年から7年くらいにかけての出来事なので、若い人はあまり知らないというから驚きですが、平和な国に起こった無差別テロ、未曾有の事件に対する連日の報道に釘付けになったものです。
事件が明るみになる前は、怪しい集団だと周囲で話題に上る程度でしたが、まさかあんな大きな事件を起こすなどは思いもよりませんでした。教祖がバラエティー番組に出たり、宗教学者で彼らの思想を肯定したものがいたりしましたし、信者たちも、異様な思想に染まってはいるけど、教義に一途なだけの善良な人のようにも映っていました。まだ犯罪の知られていなかったオウム真理教は、パソコン店や飲食店などの事業展開をして活動資金を調達していました。信者が無給与で働くわけですから、人件費が掛からないので、おそらく莫大な収入を得ていたことでしょう。そして我が高円寺の街にも、怪しげなグッズや、教団幹部のプロマイドなどを販売するオウムのショップがあったり、ラーメン屋があったりしたのです。
ラーメン屋は、高円寺純情商店街の突き当たりにありました。「うまかろう安かろう亭」という名の通り、ほんとうに安くて、店員も親切で、そこそこうまかったことを覚えています。通っていたころは、オウムのラーメン屋だとは夢にも思わず、後で知ってすごく驚きました。知らないって怖いことですね。   平成の次は、一体どんな時代になるのでしょうか。移民が増え、日本社会は大きく変わることでしょう。様々な思想、新しい考え方、異国の文化などが広まっていくことでしょうが、格差社会をほったらかしにして、歪んだ思想を生み出さないように気をつけなければいけません。あんな事件は二度とあってはいけませんから。