毎月発行している「紙」のスケジュール裏面に掲載している <スタッフのつぶやき>です

【2017年3月】
【2017年2月】
【2017年1月】
【2016年12月】
【2016年11月】
【2016年10月】
【2016年9月】
【2016年8月】
【2016年7月】
【2016年6月】
【2016年5月】
【2016年4月】
【2016年3月】
【2016年2月】
【2016年1月】


【2015年1月~12月】
【2014年1月~12月】

【2017年3月】 《CHICKENSHACK 》
東アフリカのジャングルに類人猿のメスが一頭いました。彼女には娘が二頭いました。一頭はチンパンジーの祖先となり、もう一頭は我々人類の祖先となりました。600万年前、チンパンジーと分岐した人類の祖先は更に数種に別れ、北京原人やネアンデルタール人など原人に進化し大陸間を移動しはじめました。当時の原人たちは火を使い道具をつくる知的な存在でしたが、地球にとって、他の動物種と同じ程度しか生息していない取るに足りない動物でした。しかし20万年前、遺伝学的に私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスの登場によって、世界の生態系は大きく変わったのだそうです。ホモ・サピエンスは他の動物を圧倒しました。遺伝的な溝を持つ他の原人たちを徐々に滅亡に追い込み、マンモスやサーベルタイガーなど何千万年も地球に暮らしてきた動物を数百年という短期間で絶滅に追い込みながら、大陸を渡り歩き、やがて農耕を覚えて定住し、爆発的に増えていきました。 それにしても我々の祖先が一頭のメスザルで、しかもチンパンジーと兄弟だなんてなんか不思議な感じがしますね。チンパンジーはエレキギターを弾いてブルースを歌えませんし、文明社会も神という概念を作り上げることも出来ません。しかしホモ・サピエンスは、短期間で高度なテクノロジーを発展させ、とうとう動植物の遺伝子操作までするようになりました。 ところで、地球の温暖化によって北極の氷が解け、古代の未知のウイルスが次々と蘇っているんだそうです。恐いですね。そうした新しいウイルスや感染症を予防するために現在、様々な研究がなされているようです。驚いたのは、蚊(ネッタイシマカ)を媒介にして世界中に広がる危険なデング熱やマラリアなどのウイルスの蔓延を防ぐため、ウイルスを媒介する蚊を滅亡させようという実験が行なわれているんだそうです。特殊な遺伝子操作を施したオスの蚊を大量培養し、放出し、世界中に生息しているメスと交尾させ、交尾すればメスは幼虫を産むわけですが、その産まれた幼虫が育たないで死ぬ、という仕組みだそうです。ホモ・サピエンスは自分たちの種を守るため、ネッタイシマカを絶滅させようとしています。蚊がいなくなってデング熱が広がらないのはうれしいことですが、よく考えたら恐ろしいと思いました。もしかして将来、ホモ・サピエンスは自分たちで作り上げた技術によって絶滅することになるのかもしれませんね。

【2017年2月】 《ハッチハッチェルオーケストラ》

中央線沿いには寺の名称のついた駅がいくつかあります。吉祥寺、国分寺、西国分寺、そして高円寺。お店の場所がわからないといって、電話をかけてくるお客さまの中に、間違って吉祥寺にいるという人がたまにいますが、まあ、わからなくもないという気がします。さて高円寺という街の名称は、曹洞宗の寺院である「高円寺」に由来します。いまでも駅の南口、高円寺南四丁目に現存する立派なお寺です。1555年に開山されたという古い歴史を持っています。本尊は観音菩薩像で、室町期の作といわれる阿弥陀如来座像も安置されているそうです。
五代目の住職のときです。江戸幕府三代将軍の徳川家光が鷹狩りの休息のため寺に立ち寄りました。家光は徳川家康の孫で「生まれながらにして将軍である」と諸候に宣言した人です。家光は茶室で和尚の接待を受け、きっと和尚の人柄や知識などに感銘を受けたんでしょう、以来交流が生まれ、家光が遠出の際にはたびたび寄ったり、和尚が法話を聴かせるために江戸城に出向いたりもしていたようです。
あるとき、家光が和尚に褒美を与えようと願いを聞きました。しかし和尚は土地や金銭を望まず、お茶が好きなので茶の木を植えて欲しいと所望したそうです。家光は高潔な和尚に感銘し、さっそく宇治から茶の木を取り寄せ、寺に寄進したそうです。家光が休息した茶室の跡地が本堂の裏にいまでもあって「御殿山」という名称で残り、敷地内にはかつて家光の手植えの木もあったようです。将軍は余程高円寺を気に入っていたんですね。ちなみに三度火災で全焼しており、今の建物は昭和28年再建のものだそうです。貴重な古文書が消失してしまったそうですから、家光と和尚の書状のやり取りなどもあったのかも知れませんね。ところで、当時、高円寺は「小沢村」という村名だったそうです。家光が命じて、小沢村は「高円寺村」に改称され、以来、高円寺は高円寺という名称になりました。もし家光が高円寺と関わらなかったら、「高円寺JIROKICHI」は「小沢JIROKICHI」と呼ばれ、JR高円寺駅はJR小沢駅だったかも知れませんね。「高円寺」になって良かったなと思いました。家光さんありがとう。

201701【2017年1月】 《Voice from LA…ANIYA Birthday Live in 東京》

皆様のお陰でJIROKICHIは開店43年目を迎えます。2017年もどうかよろしくお願い致します。しかし、どんな年になるのでしょうか。現代は5年先の予測も困難な時代と言われています。インターネット時代はいよいよ成熟期にさしかかり、政治や経済システムの在り方は世界的に変革の時期に来ているようにも見えます。音楽業界は、見てきたように既に大きく変わりました。CDが姿を消しつつありレコードが見直されている昨今です。テレビや新聞がメディアの中心だった時代はとっくに終わって、かつては情報を受け取るのみだった一般大衆は、今や、インターネットを通じて自ら情報を発信する時代です。バイオテクノロジーの発達は目覚ましく、近い将来、人間は150歳くらいまで寿命が延びるそうです。また、人工知能の技術が凄いことになっていて、ちょと前よりロボットの技術が飛躍的に進歩しているそうです。将来、重労働、危険な業務、介護などはみんなロボットが引き受けることになるそうですが、もしかしたら、コンビニや、ファミレス、チェーン店の居酒屋などもそうなるかもしれません。しかし居酒屋でロボットに酒とつまみを出されるってなんか味気ないですよね。まあ「慣れ」なのかも知れませんが、ある人気の寿司チェーン店に行ったとき、寿司マシーンが握った寿司が流れて来て食ったわけです……ほら、やっぱ美味しくない。寿司だけは、不衛生だなんて言わず、人の手で握って欲しいもんです。そうだ、握ると言えば「おにぎり」です。あれ、ラップで包みながら握ったのと、直に手で握ったのとじゃ味が全然違うんです。不思議ですよね。料理は心、心がこもっているから美味しいんだとか、魂が入っているからだとか、そんな古くさいことを言う気はありませんが、「美味しいものを食べさせてあげたい」という気持ちが美味しいものを作らせる動力だ、ということは実感として経験として間違いありません。TPPへの加入で、海外からより安い食材が入ってくる時代になります。輸出する側にとっては、自国の国民が食べるわけではないし、気持ちなんてない食材ばかりを売りつけてくることになるでしょう。どうする日本人。

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【2016年12月】 《ELENA KATO BAND》
また年末です。また、というのはつまり一年が早いというわけです。今年も世界的にはいろんなことがありました。熊本の大地震、オリンピック、北朝鮮の核実験、イギリスのEU離脱、朴大統領の親友の逮捕、そしてまさかのトランプ大統領誕生。世界は旧来の資本主義が機能的にも構造的にも限界を迎える中、変革の時期を迎えています。日本も当然無事にはいられません。今後一体世界はどうなっていくのでしょうか。
今年のJIROKICHIは、台風が来た割には浸水の被害にも見舞われず、なんとか無事に一年を終われそうです。いつもジロキチに出演していただいているミュージシャンの方々に深くお礼を申し上げますとともに、お忙しいところ足を運んでいただいているお客さまに心から感謝申し上げます。来年は開店43年目を迎えることになります。今後ともどうかよろしくお願いします。
ところで今年は新宿ロフトが40周年だったそうで、ロック界の大物たちが連日出演していたようですが、なんとあの山下達郎さんも出たんだそうです。山下達郎がライブハウスで演奏するなんて非常に貴重なことだと思いますが、案の定、チケットを求めて何千人もの応募が殺到したと聞きます。Twitterで新宿ロフトのライブの様子をつぶやいていた人がいたのですが、なんと、山下さんがライブ中MCで「JIROKICHIでライブをやりたい」と言ったらしいのです。その話を聞いた我々は実現できるかどうかはまあ置いといて、大変光栄に思いました。あれだけのアーティストですから、JIROKICHIで聴いたら最高に決まってます。このコラムを読んだ関係者の方が、ご本人に伝えてくれて思いが届けば……などと勝手に思っています。山下達郎さんといえばクリスマス時期に必ず聴くあの曲や、Ride On Time などのビックヒットを持つ日本を代表するアーティストの一人ですが、デビューの頃、1975年に、シュガー・ベイブというバンドでJIROKICHIに二度出演しています。しかし当時のJIROKICHIでの演奏の様子を覚えている人が身近におらず、大変残念です。音源とかあれば聴いてみたいもんですね。もし音源を持っているという方がいればどうかご一報ください。

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【2016年11月】 《Ariyo’s Japan Tour 有吉須美人》 

次郎吉というラーメン屋があるっぽいです。新人スタッフに予約の電話対応を練習させようと思って取らせると、担々麺を二つ、と注文されました。ずいぶん深夜ですから、スナックとか雀荘とかからの注文でしょうか。わかりませんが、とにかく次郎吉というラーメン屋があるのは間違いないようです。新人の彼は初めて取った電話が間違い電話で、しかも出前の注文だったという、後に語れるエピソードを早くも手に入れました。先日も「ジロキチです」と電話を取ると「店長の○○さんいる?」と受話器の向こうの人がいいます。○○というものはいませんが…といっても向こうは譲りません。「え?ジロキチでしょ?」「そうですが、○○というものはいません」と、しばらくこんなとんちんかんな会話をしてましたが、やっぱり向こうは違うジロキチにかけていたようです。というわけで検索をかけてみると、都内にジロキチ(次朗吉/次郎吉)という名前のラーメン屋は二件ありました。一件は平和台、もう一件は神田(新日本橋)です。そういえば数年前に出演してくれた西方面のロックバンドが、カーナビにうちの店名を入力して上京したところ、新日本橋についてしまったぜベイベーとMCしてたのを思い出しました。ああそうか、あれがこの店だ。今度電話が来たら「担々麺二つ承知しました」と注文を受けてみようかと思っています。もし「次郎吉/次朗吉」でラーメンを食べたことがあるという方がいたら美味しかったかどうか教えてくださいね。
電話といえば、昔はよく変な問い合わせをしてくる人がいたものです。しかし最近はめっきり減りました。きっとスマホなど情報端末機器が発達したせいですね。ほぼ毎日、酔っぱらった勢いでどうしたらジロキチに出演できるかとガラガラ声で絡み気味に問い合わせしてくる人とか、あのミュージシャンは超能力者だから出演させるなとアドバイスしてくれる人とか、おたくは何という名前の店ですか、とあなたはどこにかけたんだと突っ込みたくなる問い合わせとか。あとは、営業の電話はいまでもよくあります。コピー機を買いませんか、なんとか回線を引いてどうこうしませんか…こうゆうのならまだわかるのですが「お墓を買いませんか」というのにはまいりました。なんでライブハウスにお墓を売りつけようとするんでしょうか。今度かかって来たらよーく聞いてみようと思います。

Jirokichi_10_2016【2016年10月】 《ヒロナリむちゃブリSession 50回記念3daysスペシャル》

九鬼周造という人の「いきの構造」という古い本を知ってますか。哲学書仕立てで書いてあり、ちょっと難解で苦労しますが、解説書に頼ってちょっと読んでみました。「いき」は「あの姐さん粋だね」の「いき」のことです。ところで「いき」って人に言葉で説明するとなると考えてしまいます。一般的には遊びに通じた、垢抜けのする(田舎臭くない)、身なりなどが洗練され、人情にも通じるといった江戸の美意識、という説明が出来るかもしれません。反対語は無粋、野暮で「あんた野暮な人だね」といわれたら「いき」じゃないということです。粋(いき)は上方の粋(すい)とは少し違って、本来は心意気の「意気=いき」なのだそうです。しかし、九鬼の考える「いき」とは芸者や遊女の世界にある美意識だといいます。他の国に見られない日本独自のものなんだそうです。九鬼は「いき」の構造を分析し「媚態、意気地、諦め」という三つの要素を抽出し哲学的説明を試みました。「媚態」は好きな異性に魅せる色気で、男女が結ばれる以前の駆け引き、セクシーな仕草のこと。着飾ったり、化粧をしたり…とくに女性の湯上がり姿こそ究極なんだそうです。しかし結ばれてしまえば媚態は消えてしまうものです。「意気地」は心意気、気合い、やせ我慢です。「武士は食わねど高楊枝」は、武士のやせ我慢ですね。諦めは、例えば遊女が一般的な幸せを手に入れることはほぼ無かった時代、客に惚れてしまって、いつまでも執着し追いかけているようじゃ野暮なわけです。金に執着するのなんてのも野暮、宵越しの銭は持たないのです。つまり九鬼の分析した「いき」とは、媚態を魅せるが、やせ我慢して突っ張っていて、一般的な幸せや物欲に無関心で執着せず、さばさばとしている様子のこと。なるほど。昭和のドラマとか時代劇など見ていると、こういった粋な女性が出て来たりします。金さえ積めば落ちる女とか、いつまでも相手に未練タラタラなんてまったく無粋なわけです。現代には失われつつある美意識なのかもしれません。 「いき」はステージに上がるバンドマンたちにも通じる美意識だと思いました。派手な衣装を着たり、かっこいい姿でかっこいいプレイを披露し、ファンの心を掴もうとするのは「媚態」。イメージやルックスを保つために日々努力したり、毎日厳しい練習をしたり、気合いの入った演奏を心がけたりするのが「意気地」。将来のことなど考えず、安定した生活への執着を捨て、芸能、音楽の世界を極めようと生きる「諦め」。どうでしょうか。わたしは「いき」なミュージシャンの演奏にぐっと来ます。

Jirokichi_09_2016_Omote_OUT【2016年9月】 《アニーキーアゴーゴー!》
秋の気配のあるようなないようなジメジメとした残暑の中、今月もスケジュールを手にとっていただき、誠にありがとうございます。今月もスペシャルなライブが目白押しですので、是非ともチェックをお願いします。とくに上田正樹さんと山岸潤史さんの共演は滅多に見れませんから、早めのご予約を。ご希望のお客様はお気軽にスタッフにお声かけください。
しかし今回のオリンピックのメダルラッシュ、凄かったですね。いつの間にか日本はスポーツ大国になっていたんですね。とにかく感動をありがとうという気持ちで一杯です。早くも次回の東京オリンピックが楽しみになってきました。きっとまた様々なドラマが生まれることでしょう。
ところで、皆様におかれましてはまったくどうでもいいことですが、今年の夏はJIROKICHIスタッフ、みんなで熱海の花火大会にいってまいりました。缶ビールをやりながら次々と打ち上がる、色鮮やかな、迫力のある花火に魅入っていると、観客の中から「たまやー」というかけ声が飛び出します。最近ではそのベタなかけ声もすっかりなくなりましたが、久しぶりにきいて、おお、という感動がありました。ところで、打ち上がった花火に向かってなんで「たまやー」っていうか知ってますか。実はあれ、花火師への応援のかけ声なんです。江戸時代に活躍した花火師、玉屋市兵衛の「たまや」というわけです。実は玉屋は、鍵屋という花火師から暖簾分けしたので、本家の「かぎや」のかけ声もほしいところですが、鍵屋の名を叫ぶひとはあまりいません。どうしてかというと、玉屋と鍵屋の技の勝負、玉屋のほうが技術がすばらしく人気があったからなのだそうです。それで「たまや」のかけ声が一般的になったんですね。しかし玉屋の名声は長くはありませんでした。1843年に大火事を出してしまい廃業、追放されてしまったのだそうです。鍵屋は残って発展し、現在も何代目かの当主がいるそうですから、ほんとうは「かぎやー」と応援してあげるべきなのかもしれませんね。ちなみに最初の花火大会は1733年頃の隅田川で、花火市場を独占していた鍵屋が大活躍。当時は納涼船を出して鍵屋に花火をあげさせるのが豪商たちの最高の贅沢だったのです。

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【2016年8月】 《イズミとアイシャDuo.》

ずいぶん昔ですが、日本フォーク界の重鎮 小室等さんが企画してくれたライブに、故・高田渡さんがゲスト出演してくれたときの話です。高田さんといえば「吉祥寺フォーク」の伝説的なシンガーで、逸話の多い、たくさんの人から愛された人でした。どこか飄々としていて、おじいさんのようなナリで、けれど亡くなったのは56歳ですから、ジロキチによく出演していた頃は実は結構若かったんだと知って驚いたものです。さてライブの当日、店に出勤すると、渡さんはリハーサルを先に終えたようで、カウンターに肘をつけてもたれかかり、早くもグラスを傾けて上機嫌です。私の顔を見ると年寄りのような動き、しゃべり方で、ウイスキーの並ぶ棚を指差し、「アレとアレを2杯づつ頂いたよ」と申告してくれます。どうやら勝手にカウンターに入って飲んだようです。さて本番です。小室さんに紹介されてステージに現れた渡さんは、まるで落語の名人のような間で語りだし、皮肉たっぷりの歌で会場を沸かし、いつも通りのすばらしいライブをしてくれました。演奏中に寝てしまうこともある渡さんでしたが、その日は寝ることもなく、アンコールも無難にこなし、打ち上げでも機嫌良く飲んでいます。さて帰る、となりました。ずいぶん飲んでふらふらな様子の渡さんは「おつかれさん」と手を挙げ、しれっとカウンターを素通りしようとします。出演者は割引があるのですが、それにしてもたくさん飲んでますから、当然それなりの会計が待ってるわけです。しかし、素通りしようとしています。素通りしました。しかたなく後ろ姿に声を張って、「ワタルさん、すみません、お会計…」となったわけです。するとついさっきまで人に支えられながらヨロヨロ歩いていた渡さん、突然背筋がピンと伸び、店の入り口の階段を駆け上がって逃げてしまいました。そのあまりのスピードに、思わず笑ってしまいました。しばらく経ったある日、ライブも終わった深夜のカウンターは、ピアノの重鎮、渋谷毅さんが残って飲んでいました。渋谷さんはよく高田渡さんと一緒に演奏されていたこともあり、流れで渡さんの話になり、その逃げた話を含めいろんな逸話で盛り上がっていたのですが、誰かがふと「タモリのテレフォン・ショッキング、明日、渡さんだよ」と思い出し、よし電報を送ろうとなりました。あのとき逃げたお代をネタに電報を送ると、翌日、タモリがジロキチの電報を読んでくれました。『あのときのツケを払ってください……高円寺ジロキチ』
テレビに出演中の渡さんは、苦笑しながら「あれは渋谷さんが飲んだんだ」といってごまかしていました。

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【2016年7月】 《鳥井さきこ×渋谷毅》
サム・クックといえば、1950年代~60年代にかけて活躍した偉大なR&B歌手です。「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」、「チェイン・ギャング」、「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」などR&Bチャートのみならず、ポップチャートも賑わした黒人の大スター。後世に大きな影響を与えた天才シンガーです。サム・クックは実は1964年に34歳の若さで亡くなっていますが、その死に方が劇的です。ハリウッドでナンパした女性を高級車に乗せ、モーテルに連れ込んだまでは良かったのですが、彼女はその気がなかったらしく、恐くなって、サムがシャワーを浴びている間に逃げてしまったのです。しかも時間稼ぎのため、サムの服を隠して逃げたものですから大変です。彼女はいないし、服が見当たらないしで、ブチキレたサム・クックは管理人室に怒鳴り込みました。泥酔していたため、大騒ぎをしたようです。 彼の剣幕に恐怖を感じた管理人は銃をつかみました。そして……サム・クックは管理人によって射殺されてしまったのです。 アメリカといえば銃社会です。先日もナイトクラブで50人も射殺される事件が報道され世間に衝撃を与えましたが、アメリカは銃の規制に踏み切れる日はくるのでしょうか。銃の乱射を止めるのは銃、もっと一般市民が銃を持つべきだ、などといっている大統領候補が出てくる国ですから、きっと無理でしょうね。 ところでサム・クックの甥っ子さんが奈良県に住んでいるって知ってました? 実際行ったという人から話を聞きました。ビックリしました。奥さんが経営するカレー屋さんを手伝っているらしいんです。彼は三歳の頃、サム・クックのステージに上げられた記憶があるそうで、バンドなどもやっていたらしく、リクエストをすると、カセットデッキを起動してサム・クックの往年のヒット曲を歌ってくれるそうです。なかなか歌はうまいそうです。


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【2016年6月】 《blues.the -butcher-590213》

昨年秋の台風で浸水してしまった影響で、店内の床の板を支えるタルキが腐食し駄目になってしまいました。歩くと床はガタガタです。お店を休みにしてタルキを交換する工事をすることにしました。 工事といっても、我々スタッフでやるわけです。この床、20年くらい前に自分たちで張り替えたものですから、どうやって補強すればいいかわかっています。タルキというのは、30mm×40mm×4000mmくらいの部材、長い木の棒のことです。それを適当な長さに切って元々の床の上にコンクリート釘で打ち付けて固定します。床板を載せる台のようなものをまず作るわけです。それから剥がした床板をもとの位置に戻し、新しいタルキに再びビス止めするわけです。このジロキチの床板、素人工事の味があって結構気に入っているのですが、度重なる浸水でかなりのダメージを受けてしまっていました。浸水さえなければもっと良い状態のままだったはずです。しかし考えてみればよく保っているもんです。 さて工事です。幸い、うちのスタッフは皆仕事ができるので順調に作業は進みました。けれどやはり何だかんだと暗くなるまでかかってしまいます。二日間に分けて工事をし、なんとか補修を終えました。これでしばらくは大丈夫そうです。 工事をしながらふと思いました。20年前、まだ若かったとはいえ、こんなのよく全部張り替えたものだと…。自分たちでホームセンターに木材を買いに行き、工具を揃え、慣れない手つきで板を切り、タルキを打ち、塗装まで仕上げる。確か四日間くらいかかったと思いますが、ものすごく疲れたことを覚えています。剥がした古い板をお風呂屋さんに引き取ってもらったり、塗装していたら妙に笑えてきたとか、いろんな思い出がありますが、一番覚えているのは、手伝いに来てくれたある人物のエピソードです。……。彼はジロキチの常連客でしたが、手伝ってくれると快く引き受けてくれました。我々みな素人でしたから、経験豊富のようなことをいうその人物を信頼して、けっこう頼りにしていたのです。さて当日、彼はいかにも仕事のできる職人さんという格好で現れ、耳に鉛筆をはさみ、あーした方がいいこうした方がいいとアドバイスをしてくれます。さすが!心強い。ところが作業を始めてみますと、なんと……おどろいてしまいました。なにもできない。釘一つ打てないし、ノコギリも使ったことがないなどと言い出すのです。一度使えば慣れるからといっても怖くて触れないと言います。みんなで手分けしてタルキを釘打ちし、床板をどんどん切っていかないと間に合わないのですが、ヤスリでしこしこ板を削りだす始末です。ずっこけました。
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【2016年5月】 《mooki&keiji》

睡眠時間が少ないのは良くないそうです。昔はナポレオンが三時間しか寝なかったとか、睡眠を貪るものは成功しないなどといわれたものですが、絶対よくないそうです。 糖質の摂り過ぎもだめだそうです。糖質とは主に炭水化物ですが、糖質は脳が栄養に使うばっかりで、使わなかった分はただ脂肪となって貯められてしまうとのことです。 酒に酔ったときに集中力を要するような仕事もよくないとも聞きました。脳が麻痺しているのに常態を要求されて脳がパニックを起こすんだそうです。まあ普通そんなことしないと思いますけど。 何故脳の話ばかりするかといえば、先日、あるべーシストが脳出血という大病から復帰したからです。リハビリの過程で、脳について猛勉強したという彼自身から聞く話で、演奏後のカウンターは盛り上がりました。もちろん復帰を喜びながらです。倒れる前と変わらない演奏が聴けて本当に良かった。 彼の場合、演奏中に異変を感じ、周りのメンバーが心配して救急車を呼んでくれたため、幸い軽度で済んだわけですが、もし自宅やホテルで倒れていたら命は無かったそうです。 怖かったのは入院した当日の話です。バラードの演奏中、自分の出す音がおかしいと気がつき、観たら左手がフレットを押さえていなかったというのです。腕がだらーんと下に落ちていた。開放弦が鳴ってしまっていたわけです。ビックリして右手で持ち上げ、左手をフレットに戻すと一応指は動く。けれど、自分の思い通りの演奏が出来なくなっていました。言葉も出ない。右脳に出血があったわけです。ああ怖い。血圧、コレステロール、気をつけなければならないと肝に命じました。リハビリについては、特別なことをするよりも日常生活に戻るのが一番いいそうです。普段の生活で私たちは脳を使って凄いことをしている。例えば洗濯をしながら料理をし、頭の中では食事が終わったら買い物に行って何を買う、しかもどこが安売りしているかまで考えていたりします。更に考えながら、暑いとか寒いとかまで感じることが出来る。本を読みながらお菓子を食べ、同時に時間を気にしているとか…。音楽を聴く、なんてことも脳が大活躍しています。メロディーや音程、リズム、テンポや楽器の出す音色を識別し、知っていれば曲名まで考えていたりする。ギター弾きながら歌うなんてほんとに凄いことです。脳を大切に有効的に使いましょう。そのためによく寝て、暴飲暴食を控えましょう。…と自分に言い聞かせて今日は酒を飲まず、早く寝ることにします。

JIROKICHI_schedule_Apr2016_omote_OTL【2016年4月】 《ウンベルティポ2016 “5th.CD発売”ライブ》 「北の国から」というテレビドラマがありましたが、一度も観たことがありませんでした。数年前、富良野に行ったときも「五郎の家」とか撮影に使われた場所が観光名所としてあったわけですが、そのときは知らないし、まったく興味が湧かず、今では非常に後悔しています。なぜ後悔しているかというと今更ドラマにハマっているからです。そうです、毎回泣いているというわけです。最初からシリーズを観はじめ、成長し東京に出た純が女の子を妊娠させてしまう所まできました。あれ? 妊娠させた相手の保護者(菅原文太)の家に、息子の不祥事を詫びるため、北海道から五郎さんが出てくるシーン。文太が働く豆腐屋さんが映ります。なんと高円寺じゃないですか。二十数年前の高円寺の風景。今はもう無くなってしまった豆腐屋さんです。懐かしい! そうそう、ここに餃子の王将があった、このスーパーは別の店だった。パチンコ屋の看板が違う。思わず巻き戻して何度も観てしまいました。そういえば当時、界隈で話題になったような覚えもありますが、記憶はずいぶん深いところに沈んでいたようです。その豆腐屋さん、とても美味しくて、2丁買うと3丁にしてくれたり、豆乳も安く売ってくれたり、とくに厚揚げが美味しくて、とてもいい店でした。無くなってしまったときは大変残念だったのです。あの厚揚げをもう一度食べたい。 無くなってしまった店を思い出すときはノスタルジックな気分にさせられます。他にも好きだった味の店がずいぶん無くなってしまいました。思い出す店の記憶というものは少し味付けを足され美化されるようです。よく通っていた飲み屋「洗濯船」。コアな常連客が集まる独特な店だったのですが、クセのあるマスターの魅力で30年。しかし残念ながら去年、無くなってしまいました。 ずいぶん前のことですが「洗濯船」で飲んで会計を済ますと、マスターが飲みにいこうというので朝5時から営業している小料理屋「やよひ」に行きました。(「やよひ」も独特な雰囲気を持った独特な客の集まるディープ高円寺の象徴でしたが、無くなってしまいました)「やよひ」は昼過ぎまでの営業でしたので、天道様は真上。昼時で混み合う商店街をべろべろに酔ったマスターと歩くのが恥ずかしかった記憶があります。マスターは例の豆腐屋にくると私に土産を買ってくれました。それがあの厚揚げだったのです。


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【2016年3月】 《松井智恵美artworks スペシャルライブ》
SMAPの解散騒動やベッキーの騒ぎなどで世間は盛り上がっていましたが、そんなに大騒ぎするほどのことだったんでしょうかね。ベッキーの問題なんて、一番問題だったのはLINEの流出だったと思いますし。あれ、よく考えると完全にプライバシーの侵害ですよね。ベッキーは名誉毀損とかで訴えないんでしょうか。私たちが、家族や友人としていたLINEの会話がある日ネットで晒されていたとしたらどう思います?まあ芸能人だから多少は仕方ないのかもしれませんが、ちょっとひどいと思います。そんなことよりもマイナス金利政策や北朝鮮のミサイル発射、デビッド・ボーイやモーリス・ホワイトが亡くなったこと、そっちの方が気になる私ですが、世間とズレたおっさん、ということになるのでしょうか。
ある日のことです。SMAP騒動のまっただ中、ジロキチのカウンターで盛り上がっていた話題は「死に様」についてでした。残ってカウンターで飲んでいたミュージシャンたちとの、深夜特有のちょっとブラックな感じの話題です。まあいろいろ話が出て、あるジャズギタリストが話したエピソードがすごかった。白木秀雄という1950年代に活躍した天才ジャズドラマーの話です。白木秀雄といえば石原裕次郎が『オイラはドラマー♫』って歌いながら叩くドラムの、実際の演奏をしている人です。アート・ブレイキーとドラム合戦をするなど華々しく活躍し、テレビでも人気の大スターだったそうですが、けっこうわがままな人だったらしく、メンバーに去られたり次第に落ちぶれていって、とうとう事務所をクビになり、1972年、39歳という若さで死んでいます。そうです、その死に様のことなんです。 赤坂のアパートで発見されたとき死後十日以上経過していたそうです。腐乱した状態でした。大スターの落ちぶれた果ての孤独死ということで週刊誌も書き立てたそうですが、それくらいなら驚きません。発見されたとき……なんと女装して死んでいたというのです。女装?!一体どうして?まさか命がけのネタでしょうか……。いや、さすがジャズメン。すばらしい死に様です。思わずうーんと唸ってしまいました。合掌。


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【2016年2月】 《ハモニカクリームズ》
テレビを余り見ないので知らなかったのですが、今年のNHKの大河ドラマは『真田丸』だそうです。真田丸というのは真田幸村が築いた城砦の名前です。幸村は、豊臣秀吉亡き後、徳川家康と豊臣家の争いにおいて、大阪城を舞台にした戦いで活躍した戦国武将です。ということは『真田丸』。きっと真田昌幸&幸村そして徳川4代目将軍の時代まで生きた真田家の嫡男、真田信之の物語なのだと思いますが、どうなんでしょう。ところで真田といえば忍者の活躍で知っている人もいるかと思います。アニメにもなった猿飛佐助、霧隠才蔵とか有名ですよね。…そうなんです。まったく知らなかったのです。私の実家(群馬)から歩いていける距離にモノホンの真田忍者の墓があったなんて。聞いて知って驚きました。さっそくお参りしようと探しにいってまいりました。その忍者は「唐沢玄蕃」さんという真田家の家臣で、敵方の城に忍び込み火を放つなど功績を上げたんだそうです。しかしその玄蕃さん、活躍もしたのですが、やんちゃもしたことで後世に名前が残りました。命令を受けて再び火を放とうと別の城に忍び込んだところ、城内に黄金で飾られた立派な馬具を見つけてしまいました。玄蕃さん、宝物に目がくらみ、仕事を放棄。馬具を盗んで逃走しちゃったのです。ところで玄蕃さんの墓ですが、なかなか見つかりません。だいたいの場所を聞いて探したのですが、分け入っても分け入っても野山。見つかりません。やはり聞き込みだというわけで、向こうから歩いて来た地元のおじいさんに聞いてようやく場所がつかめたのですが、人里とはいえ、結構山奥で範囲も広いですし、やっぱり見つかりません。また誰かに聞こうと辺りを見回しても滅多に人は歩いていないのです。こうなったら意地です。日が暮れる前に絶対見つけようと歩き回っていると、「あった!」とうとう見つけました。戦国時代、450年前の墓です。墓の裏に回ったり、写真を撮ったり感無量。唐沢玄蕃の名が刻まれた墓標をなで回しながら真田幸村の時代に思いを馳せ、ポケットにあったみかんを供えて帰りました。実は近くにもう一つ別の忍者の墓があるんだそうで、次回はそれを探そうと思います。何のために? なんて野暮なことは聞かないでください。
JIROKICHI_schedule_Jan2016_omote【2016年1月】 《堀江有希子》
あっという間に一年が過ぎ、新たな一年が始まります。景気も良くなってきているようですが、どうなんでしょうかね。とうとうJIROKICHIは2016年、開店42年目に突入します。店や会社は30年が寿命だ、なんて聞いたことがありますから、相当頑張っているほうかも知れませんね。
ところでJIROKICHIのある高円寺駅北口とは逆側、南口パル商店街を下り、右にちょいといった所に名店『ネルケン』というクラシック喫茶があるんです。よく行くんです。良い音で、程よい音量でかかる名曲を聞きながら優雅に珈琲を飲むんですが、コレがたまりません。そして何よりも店主のマダムが素敵。なんというかお上品。立ち居振る舞いに気品が漂うお方なのです。聞けば60年目だというではないですか。60年というと昭和30年の開店です。驚きました。ちなみに『ネルケン』はドイツ語で「カーネーション」のことだそうです。ふと甘いものがほしくなってクッキーを注文してみました。上品な言葉使いで注文を受けると、何故かマダムは忙しそうな摺り足で外に出ていってしまいます。すぐに戻ってきたのですが、どうしたのかなと思っていると、クッキーが出てきてその理由が判かりました。ハーブが添えてあったのです。つまり外に出たのは、店の入り口付近に生えているハーブを摘みにいっていたのです。小粋ですね。市販のものでしょうがハーブによって高級感がグンと増したクッキーをかじりながら、60年という時を経た店の、店ごと鳴っているような柔らかな音響で音楽を聴き、しばし心を安め、新たな一年を想うのでした。